飛鳥寺
蘇我馬子の発願で推古4年(596)に完成した、日本初の本格的寺院。塔を3金堂が囲む大寺だったが、鎌倉時代に伽藍の大半を焼失した。現在の本堂は江戸時代の再建だが、本尊銅造釈迦如来坐像(重要文化財)は創建時の飛鳥時代の作。飛鳥大仏の名で親しまれる。
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蘇我馬子の発願で推古4年(596)に完成した、日本初の本格的寺院。塔を3金堂が囲む大寺だったが、鎌倉時代に伽藍の大半を焼失した。現在の本堂は江戸時代の再建だが、本尊銅造釈迦如来坐像(重要文化財)は創建時の飛鳥時代の作。飛鳥大仏の名で親しまれる。
明日香村の高松塚に程近い、自然いっぱいのぶどう園。ぶどう狩りが楽しめるほか、大粒の上品な巨峰は、大切な贈り物にも。
甘樫丘は飛鳥の中心部にある標高148mのなだらかな丘。頂上からはのどかな飛鳥の里が一望できる。北方には耳成山[みみなしやま]や天香具山[あまのかぐやま]、西方には畝傍山[うねびやま]や二上山も眺められる。甘樫丘周辺一帯は国営飛鳥歴史公園として整備されており、約40種類の万葉植物が植えられた遊歩道の万葉の植物園路が巡る。丘の麓には蘇我蝦夷[えみし]・入鹿[いるか]親子の邸宅があったといわれる。
全長約140mで、明日香村内最大級の前方後円墳。墳丘の緑と、濠が美しい。570年に死去した欽明天皇と、妃で蘇我馬子の妹の堅塩媛[きたしひめ]を合葬した檜隈坂合陵[ひのくまさかあいのみささぎ]とされている。しかし、出土遺物が築造年代とあわず、北方の丸山古墳を欽明陵とみる説がある。
平成12年(2000)に発掘された石造の遺構。酒船石のある丘陵下に位置し、亀形と小判形をした鉢状の花崗岩を中心に、階段状の石敷きが広がる。砂岩を積み上げた湧水施設も発見され、水源からの導水構造が判明した唯一の遺跡だ。谷に位置することから祭祀に関わる施設とされる。
道を挟んで、鬼の俎[まないた]の向かい側にある大きな石造物。その昔、旅人を捕らえては食っていた鬼が用を足した場所との伝説が残る。実際は、7世紀中頃に造られた古墳の石槨[せっかく]で上部が底石からはがれたものといわれる。
飛鳥宮跡は飛鳥時代の宮殿跡と考えられており、発掘調査で明らかになった石敷き広場や石組みの井戸などが復原されている。この遺構は天武持統両天皇の飛鳥浄御原宮[きよみはらのみや]と考えられている。さらにその下層から別の宮殿跡が見つかっており、古くからの伝承により、中大兄[なかのおおえの]皇子と中臣鎌足[なかとみのかまたり]が蘇我入鹿を斬殺した乙巳の変の舞台となった飛鳥板蓋宮[いたぶきのみや]の可能性がある。
飛鳥四大寺の1つであり、1塔二金堂式といわれる伽藍配置をもち、当時としてはとても大きな寺だったと想像出来る。中金堂跡には、瑪瑙の礎石(28個)も残っている。本尊は十一面観音、弘法大師作の持国天、多門天に平安初期に造られたとされる十二神将も拝観できる。日本書紀によれば川原寺は日本初の写経場とされており、飛鳥の風を感じながら、簡単な写経体験メニューも用意。写経後には、広い座敷にて天香久山を眺めながら、食事を楽しむことができる(料金、人数等は要問合せ)。
巨石を積み上げた姿があまりに有名な飛鳥のシンボル。奈良県中央部の明日香村に広がる国営飛鳥歴史公園石舞台地区に位置する国の特別史跡。6世紀末~7世紀初めの築造で、蘇我馬子[そがのうまこ]の墓というのが定説。墳丘は1辺約50mの方墳で、最大幅8.4mの濠が巡る。日本最大級の横穴式石室は、玄室の長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m。内部に入るとその巨大さが実感できる。「石舞台」の名は天井石が広く平らで舞台のようだから。石室の露出は馬子の専横ぶりに反発した後世の人が封土をはがしたとの言い伝えも。
天長6年(829)、神奈備山から現在地に移転。境内には陰陽石が多数置かれ、子授けの神として信仰される。2月第1日曜のおんだ祭は田植えと夫婦和合の所作で、五穀豊穣・子孫繁栄を祈願する祭として有名。
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