
相撲神社
野見宿禰を祭神とする、穴師坐兵主神社の摂社。相撲発祥の地。『日本書紀』によれば、大和国の當麻蹶速と出雲国の野見宿禰が日本で始めての相撲をとり、勝った野見宿禰には當麻蹶速の領地が与えられた。
- 「巻向駅」から徒歩23分
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野見宿禰を祭神とする、穴師坐兵主神社の摂社。相撲発祥の地。『日本書紀』によれば、大和国の當麻蹶速と出雲国の野見宿禰が日本で始めての相撲をとり、勝った野見宿禰には當麻蹶速の領地が与えられた。
大化元年(645)創建。本尊の文殊菩薩は鎌倉時代の大仏師・快慶作の国宝で日本最大(7m)。平安時代から魔除け・災難除けの守り神として尊崇されている陰陽師・安倍晴明公ゆかりの寺であり、全国から参拝者が絶たない。境内文殊池中央に浮かぶ金閣浮御堂霊宝館は、魔除け・災難除けの願掛け道場となっており、この御堂の回廊を自分自身が7回廻って、厄・災難を払う「災難除け七参り」を申し込むと「おさめ札と肌守り」が授与され堂内の宝物拝観ができる。
西国霊場第8番札所。縁起では、天武天皇のため、朱鳥元年(686)に道明上人が銅板法華説相図(国宝)を西の岡の石室に安置。神亀4年(727)に徳道上人が聖武天皇の命を受け、東の岡に十一面観音像を安置したという。度重なる火災に遭ったが、朝廷や豊臣秀長らの援助もあって再興。仁王門から399段の石段の登廊(国重要文化財)が本堂(国宝)に続く。舞台造の本堂は徳川家光が慶安3年(1650)に再建。室町時代作の本尊十一面観音立像(国重要文化財)は高さ10mの巨像。寺宝は宗宝蔵で春と秋に拝観可。約7000株のボタンも有名。
忍阪[おつさか]集落の高台にある眺望の良い寺で、現存日本最古の三尊石仏(重要文化財)を安置することで知られる。三尊石仏は約1300年前の白鳳時代のもので、高さ118cm、幅125cm、厚さ約34cm。丸みのついた三角形の石板に、頭上に天蓋[てんがい]をいただいて倚座[いざ]する薬師如来と伝える如来形像を中心に三尊仏を浮彫にする。保存状態もよく、一部朱色がのこり優美な姿を保っている。
忍阪集落の東の奥にある舒明[じょめい]天皇陵の脇の山道をしばらく進むと、四方を山に囲まれた窪地が開ける。そこにある小さな円墳が鏡女王の墓とされる。鏡女王は、万葉の女性歌人として有名な額田王[ぬかたのおおきみ]の姉であり天智天皇の妃、のちに藤原鎌足の夫人となった。墓の北側には、欽明[きんめい]天皇の皇女大伴[おおとも]皇女の墓もある。
コンクリート造りの小堂に安置され、格子越しに拝観できる。高さ2.14m、幅83.5cm、厚さ21.2cmの2枚の岩に浮き彫りされた像は、右が釈迦如来、左が弥勒如来とされる。鎌倉時代の作といわれるが、天平末期という説も。もとは大神神社近くの平等寺にあったが廃仏毀釈で寺と一緒に破壊されるところを村人が移し、今も守り続けている。
状況が『日本書紀』などの記述と合致することから、被葬者がほぼ確実視されている八角形墳。
長谷寺塔頭で、西国三十三カ所観音霊場番外札所。長谷寺本尊の十一面観音を造立し、西国霊場巡礼を始めたとされる徳道[とくどう]上人が隠棲した所と伝わる。徳道上人像を安置し、境内には上人御廟の十三重石塔や、触れると願いがかなうという上人沓脱ぎ石がある。
金屋集落の西南にあり、山辺の道の南の起点。古代には飛鳥や難波に向かう道が合流する交通の要所で、わが国最古の市とされる海柘榴市が開かれ賑わった。ここはまた若い男女が歌を詠み合いながら婚約を成立させる、古代の「歌垣[うたがき]」の舞台でもあった。現在は小堂が立つ海柘榴市観音に名を残すだけ。
多武峰山麓の高台にあり、境内からは三輪山や箸墓[はしはか]古墳をはじめ大和盆地を一望できる。和銅5年(712)、藤原鎌足[かまたり]の長男定慧[じょうえ]の創建と伝えられ、和辻哲郎が『古寺巡礼』で気高いその姿を絶賛した十一面観音立像(国宝)は、天平彫刻の傑作としてあまりにも有名。江戸時代作の本尊丈六子安延命地蔵に、安産と子授けの祈願に訪れる人も多い。
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