ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
周囲約16km、塩飽全島の政治・経済の中心地だ。かつて全島統治の政務所だった塩飽勤番所(史跡)や、古い家並みが残る笠島集落などが往時の面影を伝える。島内にタクシーなどはないので、泊港の待合所で貸し出すレンタサイクル(料金:1日500円、電動自転車1日1500円)を利用するといい。主なみどころを回って2~3時間。
豊臣秀吉は塩飽水軍の650人に対し、朱印状により1250石の領地を与え、彼らは人名[にんみょう]と称し、その後、江戸時代末期までどの藩にも属さない独立自治を認められた。塩飽勤番所は人名から選ばれた3人の年寄りが交代で執務をとった政庁跡。寛政10年(1798)に建てられた白土塀の長屋門、本館、御朱印蔵などが残り、国の史跡に指定されている。本館内には信長、秀吉、家康らが与えた朱印状や航海図、古文書類、塩飽出身者が多かった咸臨丸乗組員の遺品などを展示。国指定史跡である。
本島の北東に位置し、塩飽水軍が本拠地としたところ。江戸後期~明治期の建物30数棟が残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。細い路地に沿って、白壁、なまこ壁や格子窓、虫籠窓[むしこまど]の家並みが続き、このうち真木[さなぎ]邸(笠島まち並保存センター)、真木[まき]邸(ふれあいの館)、藤井邸(文書館)の3棟が一般公開されている。
標高約66mの亀山に築かれた平山城。内堀から天守へ幾重にも積み上げられた石垣は、扇の勾配と呼ばれる美しい曲線を描く。現在の城の大部分は、丸亀藩主になった山崎家治[やまざきいえはる](崎の字は正しくは山+竒)が寛永20年(1643)に再建へ向けて着手し、明治維新まで城主だった京極家に受け継がれた。城跡全域が国指定史跡で亀山公園として整備されており、天守、大手一の門、大手二の門は国指定重要文化財。天守は全国に現存する木造天守12城の一つだ。日本城郭協会の「日本100名城」にも選定されている。
かつて金毘羅参りの上陸港として賑わった丸亀港のシンボル。青銅製の灯籠で、天保5年(1834)に1357人の寄付により建てられた。夜には灯りがともる。
万延元年(1860)に初めて太平洋横断を成し遂げた咸臨丸。この乗組員のうち35名が塩飽諸島出身、うち11名が広島の出身だったそう。その乗組員の墓が広島内のあちこちにある。
江戸末期に千石船で繁栄した廻船問屋の邸宅。青木石を約4.5mの高さに積み上げた見上げるような石垣と、総ケヤキ造りの家屋からは当時の繁栄ぶりが窺える。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。 トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。