
丸亀市民ひろば
丸亀城北側に位置する丸亀市民憩いの公園。花や緑に囲まれた園内には、丸亀出身の作家から寄贈されたブロンズ像など7体が展示されており、アートの町ならではの公園だ。青空の下での芸術鑑賞はまた違った味わい。また、お城の天守及び日本一の石垣を一望できる芝生広場では、市民によるコンサートやイベント等、年間を通して数多くの行事が楽しめる。
- 「丸亀駅」から徒歩11分
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丸亀城北側に位置する丸亀市民憩いの公園。花や緑に囲まれた園内には、丸亀出身の作家から寄贈されたブロンズ像など7体が展示されており、アートの町ならではの公園だ。青空の下での芸術鑑賞はまた違った味わい。また、お城の天守及び日本一の石垣を一望できる芝生広場では、市民によるコンサートやイベント等、年間を通して数多くの行事が楽しめる。
周囲約16km、塩飽全島の政治・経済の中心地だ。かつて全島統治の政務所だった塩飽勤番所(史跡)や、古い家並みが残る笠島集落などが往時の面影を伝える。島内にタクシーなどはないので、泊港の待合所で貸し出すレンタサイクル(料金:1日500円、電動自転車1日1500円)を利用するといい。主なみどころを回って2~3時間。
優雅で美しい庭園が特徴の中津万象園内にある美術館。ミレーやコローなどの名画がある絵画館や、紀元前2500年頃~13世紀頃までのペルシャ陶器などを観賞できる陶器館から成る。
豊臣秀吉は塩飽水軍の650人に対し、朱印状により1250石の領地を与え、彼らは人名[にんみょう]と称し、その後、江戸時代末期までどの藩にも属さない独立自治を認められた。塩飽勤番所は人名から選ばれた3人の年寄りが交代で執務をとった政庁跡。寛政10年(1798)に建てられた白土塀の長屋門、本館、御朱印蔵などが残り、国の史跡に指定されている。本館内には信長、秀吉、家康らが与えた朱印状や航海図、古文書類、塩飽出身者が多かった咸臨丸乗組員の遺品などを展示。国指定史跡である。
本島の中央部山頂に立つ真言宗大本山。神亀年間(724~729)に聖武天皇の勅願で創建されたと伝わる格式ある寺だ。讃岐が生んだ高僧の一人で、平安時代に京都・東寺の長者も務めた理源大師(聖宝)の生誕の地でもある。多くの寺宝を収蔵することで知られ、33年ごとに開帳(次回は2034年)される本尊の聖観音菩薩像をはじめ、不動明王像、毘沙門天像は重要文化財。寺宝拝観(料金:志納)は事前に連絡を。毎年7月第3日曜の夏まつりには、湯加持や荒行の火渡りの修行が行われる。
本島の北東に位置し、塩飽水軍が本拠地としたところ。江戸後期~明治期の建物30数棟が残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。細い路地に沿って、白壁、なまこ壁や格子窓、虫籠窓[むしこまど]の家並みが続き、このうち真木[さなぎ]邸(笠島まち並保存センター)、真木[まき]邸(ふれあいの館)、藤井邸(文書館)の3棟が一般公開されている。
貞享5年(1688)、丸亀藩2代目藩主・京極高豊が築庭。園の名称は森羅万象にちなんで付けられた。約5万平方mの庭は、琵琶湖を模した八景池を中心に近江八景になぞらえた8つの島を配し、橋で結んだ池泉回遊式。茶室近くの大笠松は必見。優雅で美しい庭園の中には絵画館・陶器館のある丸亀美術館を併設。ミレーやコローなどの名画や、紀元前2500年頃~13世紀頃までのペルシャ陶器などを観賞できる。
本島で一番のビュースポット。島の中央にそびえる標高110mの遠見山の山頂までは、散策遊歩道が整備されている。展望台からは瀬戸大橋の全景や、瀬戸内の多島美を堪能できる。
標高約66mの亀山に築かれた平山城。内堀から天守へ幾重にも積み上げられた石垣は、扇の勾配と呼ばれる美しい曲線を描く。現在の城の大部分は、丸亀藩主になった山崎家治[やまざきいえはる](崎の字は正しくは山+竒)が寛永20年(1643)に再建へ向けて着手し、明治維新まで城主だった京極家に受け継がれた。城跡全域が国指定史跡で亀山公園として整備されており、天守、大手一の門、大手二の門は国指定重要文化財。天守は全国に現存する木造天守12城の一つだ。日本城郭協会の「日本100名城」にも選定されている。
かつて金毘羅参りの上陸港として賑わった丸亀港のシンボル。青銅製の灯籠で、天保5年(1834)に1357人の寄付により建てられた。夜には灯りがともる。
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