
萩城跡・指月公園
慶長9年(1604)に毛利輝元が築いた城。指月山麓の平城[ひらじろ]と山頂の山城[やまじろ]を併せた平山城で、本丸には5層の天守があったが、明治7年(1874)にすべての建物を解体。現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめている。旧本丸跡は指月公園として整備されており、春は600本余の桜の名所として親しまれている。萩でしか見ることのできない珍しい桜、天然記念物ミドリヨシノは必見。
- 「玉江駅」から徒歩24分
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慶長9年(1604)に毛利輝元が築いた城。指月山麓の平城[ひらじろ]と山頂の山城[やまじろ]を併せた平山城で、本丸には5層の天守があったが、明治7年(1874)にすべての建物を解体。現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめている。旧本丸跡は指月公園として整備されており、春は600本余の桜の名所として親しまれている。萩でしか見ることのできない珍しい桜、天然記念物ミドリヨシノは必見。
萩藩士として大組(300石)に属していた奥平家の表門は、市の指定有形文化財になっている。建築技法などから19世紀初頭のものとされ、全体の門構えや出格子など往時の形態をよく残している。西に面した表門は寄棟造、桟瓦葺きで、桁行約28m、梁間5mの長い建物。道路に面した西側には4カ所の出格子窓があり、腰部は下見板張り、上部は外大壁。外観のみ見学可。
その傑出した行動力から「幕末のカリスマ」と称される高杉晋作は、萩藩大組士・高杉小忠太の長男としてここで生まれた。当時の旧宅の一部が現存し、屋敷の前には晋作が浸かったという産湯の井戸もある。晋作自作の歌を刻んだ句碑や自筆の書の複写、当時の茶道具などのゆかりの品を展示している。
平成22年(2010)10月に、萩市では初めての高杉晋作の銅像が登場。以来、多くの観光客、幕末ファンが立ち寄る公園となっている。
桂太郎は萩出身で、明治政府で陸軍大臣や首相を3回務めた政治家。旧宅は明治42年(1909)、彼が幼少時代を過ごした地に建てられた家だ。和室4室に台所が付いただけの簡素な家で、邸内には藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園がある。
江戸時代の牢獄跡で、野山獄が士分の者、岩倉獄が庶民用だった。安政元年(1854)、下田からアメリカに密航を企てて失敗した吉田松陰は野山獄に、門弟の金子重輔[かねこしげのすけ]は岩倉獄につながれた。岩倉獄跡には、重輔絶命の碑と松陰が重輔に贈った詩碑が立つ。
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