
箱根登山鉄道 早川橋梁(出山の鉄橋)
箱根登山鉄道には数多く鉄橋があるが、なかでも有名なのがこの橋。塔ノ沢~大平台間にあり、通称出山の鉄橋といわれる。鉄橋下約40mには早川が流れ、まさに深山幽谷[しんざんゆうこく]。国の有形登録文化財にも指定されている。
- 「塔ノ沢駅」から徒歩11分/「大平台駅」から徒歩22分
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箱根登山鉄道には数多く鉄橋があるが、なかでも有名なのがこの橋。塔ノ沢~大平台間にあり、通称出山の鉄橋といわれる。鉄橋下約40mには早川が流れ、まさに深山幽谷[しんざんゆうこく]。国の有形登録文化財にも指定されている。
豊臣秀吉が小田原攻めの際、将兵をねぎらうため造ったとも伝わる岩風呂。幅3m、高さ1mの岩穴でしめ縄が下がり、八千代橋のたもとから延びる歩道から見られる。十数年前までは湯けむりが上がっていたが、現在は涸れてしまい跡として残るのみ。
畑宿から守源寺を抜け宙吊り石畳に向かう路傍に立ち、江戸から23里目を示す道標。一里塚は江戸幕府が旅人のために目印として1里(約4km)おきに設けたもので、神奈川では戸塚とここに残るのみ。平成10年(1998)に復元され、当時の姿に蘇った。
治承4年(1180)、源頼朝が石橋山の合戦で平家に敗れたときに身を隠したといわれる岩屋。ここより箱根権現別当のもとに逃れた後、真鶴の岩海岸から安房国へと脱出したと伝えられている。
芦之湯史跡探勝歩道の途中にある。3つの五輪塔のうち、左の2つが曽我兄弟の墓(重要文化財)、右が兄・十郎の恋人・虎御前の墓(重要文化財)といわれている。しかし、右の塔には永仁3年(1295)12月地蔵講結縁衆と刻まれているため、鎌倉後期に地蔵信仰に基づいて建てられたものともいわれる。
江戸時代の書物に東海道一番の難所と書かれた坂。つづら折りになった七曲りに沿って伸びている。あまりの苦しさに「樫の木の坂を越ゆれば苦しくてどんぐりほどの涙こぼるる」と歌われている。
神山登山道近くに立つお地蔵様。荒涼とした大涌谷の地獄のような光景に心を痛めた弘法大師が、この地を鎮めるため地蔵菩薩を刻み、人々の救済を祈願したと伝えられている。現在では「延命子育ての地蔵」としても知られている。
芦ノ湖を出発して権現坂を越えると、箱根で一番長い約1kmにわたる天ケ石坂の石畳に入る。この道の途中に、馬子唄の碑がある。馬子唄は、馬喰[ばくろう]とよばれる馬の売買人や馬に荷を乗せて運んだ馬子が、峠を越えるときに唄ったものだ。石碑には「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と唄の一節が刻まれている。石碑の周辺は、格好の休憩スポットになっている。
箱根の関所は元和5年(1619)、徳川幕府によって西国に対する江戸の防備と治安を守るために設けられた。江戸に在住の諸藩の大名の奥方など、女性の江戸退出に対する取締りが厳しく行われた。平成19年(2007)春、大番所・上番休息所、京口御門、厩[うまや]等が完全復元され、調度品などが公開されている。
江戸時代半ばに熊野権現の境内に設けられた薬師堂。当時の文化サロンで、賀茂真淵[かものまぶち]などが集まり歌を詠んだ。明治4年(1871)に焼失したが、平成13年(2001)に復元された。賀茂真淵らの歌碑も残る。
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