城ケ島灯台
島の西端部の高台に建つ。明治3年(1870)、フランス人技師ヴェルニーによって設計された西洋式灯台で、日本で5番目の古い歴史をもつ。当初はレンガ造りだったが大正12年(1923)の関東大震災で倒壊。現在の高さ11.5m、白色円形コンクリート造りの灯台は大正14年(1925)に再建した2代目。一般開放日以外は灯台内に入れない。周辺施設は立入可。灯台下は荒磯が広がる。
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島の西端部の高台に建つ。明治3年(1870)、フランス人技師ヴェルニーによって設計された西洋式灯台で、日本で5番目の古い歴史をもつ。当初はレンガ造りだったが大正12年(1923)の関東大震災で倒壊。現在の高さ11.5m、白色円形コンクリート造りの灯台は大正14年(1925)に再建した2代目。一般開放日以外は灯台内に入れない。周辺施設は立入可。灯台下は荒磯が広がる。
昭和3年(1928)に神奈川県内で初めて発掘調査された敷石住居跡。敷石住居とは、関東地方の縄文時代中期終末から後期にみられる住居の一形態で、床に河原石を敷きつめ、中央に石で囲った炉が設けられる。
治承4年(1180)、源頼朝が石橋山の合戦で平家に敗れたときに身を隠したといわれる岩屋。ここより箱根権現別当のもとに逃れた後、真鶴の岩海岸から安房国へと脱出したと伝えられている。
浪子不動の背後にある、なだらかな披露山の山頂一帯に広がる公園。園内にはレストハウスや展望台、オス10頭、メス8頭の計18頭のサルがいる猿園、水鳥園、尾崎行雄の記念碑などがあり、展望台からは逗子や葉山方面はもちろん、遠く伊豆や富士山まで見渡せる。浪子不動までのハイキングコースもある。
建長5年(1253)、日蓮がここで道行く人に法華経の教えを説いたところ。石柱と日蓮腰掛石が並んでいる。
鎌倉時代、遠浅で大きな船が入れなかった海岸に造られた和賀江嶋は、日本最古の築港遺跡。満潮時にはほぼ全域が海面下に隠れてしまうが、干潮時には石積みが見られる。国指定の史跡に指定されている。
箱根強羅公園内にあり、明治・大正・昭和の各時代を代表する実業家、益田鈍翁[ますだどんのう]、原三渓[はらさんけい]、松永耳庵[まつながじあん]が使用していた白雲洞、不染庵[ふせんあん]、対字斎[たいじさい]という3席の茶室がある。箱根の天然岩に深山にわび住む山人の住まいを主題にしたもの。抹茶と和菓子も楽しめる。
およそ300年前、ドイツ人医師であり博物学者のケンペルが来日。箱根の山を越えて、江戸に参府した。その時の印象を記したのが『日本誌』。箱根の美しさを称え、世界に初めて箱根の植物(ハコネグサ)を紹介したことでも知られる。イギリス人貿易商バーニーはケンペルの書いた『日本誌』に感激し、箱根の自然保護を訴えた。この2人の功績を称える石碑が、箱根旧街道の杉並木の入口に立つ。毎年4月にはケンペル・バーニー祭も開催。
城ケ島大橋のたもとに立つ詩碑。「雨はふるふる城ケ島の磯に利休ねずみの雨がふる」という『城ケ島の雨』の一節が、高さ約3mの船の帆をかたどった根府川石に彫られている。大正2年(1913)、三崎に仮寓していた白秋が島村抱月と松井須磨子の芸術座音楽会のために舟歌として作詞したもので、以後城ケ島の名前を高めた。近くの白秋記念館(入館無料)では、白秋にまつわる資料200点以上を展示。所要30分。
江戸時代、小原宿は甲州街道9番目の宿場として栄えた。その宿場本陣として使われていた旧清水家を公開。屋根は妻側に開口部のあるかぶと造で、大名などが使用した式台玄関や上段の間、家老や側近の控の間などが見学できる。例年11月3日に、大名行列を再現する小原宿本陣祭を開催している。神奈川県指定重要文化財、相模原市景観重要建造物。
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