
ベーリック・ホール
昭和5年(1930)に建てられた、イギリス人貿易商ベリックの邸宅。建築家J・H・モーガンの設計でスパニッシュスタイルを基調。現存する戦前の山手外国人住宅では最も規模が大きい。セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として44年間使用された歴史もあり、平成14年(2002)から施設を公開している。玄関の3連アーチ、瓦屋根を持つ煙突、幾何学模様のタイルなど多彩な装飾が見どころ。
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昭和5年(1930)に建てられた、イギリス人貿易商ベリックの邸宅。建築家J・H・モーガンの設計でスパニッシュスタイルを基調。現存する戦前の山手外国人住宅では最も規模が大きい。セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として44年間使用された歴史もあり、平成14年(2002)から施設を公開している。玄関の3連アーチ、瓦屋根を持つ煙突、幾何学模様のタイルなど多彩な装飾が見どころ。
大正15年(1926)、J・E.ラフィン邸として建てられたスペイン風の洋館。地階は鉄筋コンクリート、地上2階は木造の寄棟造り。ホールは開放的な吹き抜けになっている。設計者は、アメリカ人建築家J・H・モーガン。大正9年(1920)、東京・丸ビル建設のために来日。日本を愛したモーガンは藤沢に移り住み、数多くの建物の設計を手がけた。
もと和歌山の紀の川沿いの景勝地にあった、紀州徳川家の数寄屋風書院造の別荘「巌出御殿[いわでごてん]」といわれる。慶安2年(1649)の建築で、室内は狩野派などによる障壁画や繊細で豪華な数寄屋意匠で彩られている。池に臨んで雁行型に配された様は三溪園でも随一の景観で、桂離宮と対比される遺構である。
横浜赤レンガ倉庫のリニューアルオープンと同時期に整備された約5万7000平方mの面積を持つ公園。横浜港を臨む海岸線沿いからは大さん橋やベイブリッジが眺められ、海辺の公園ならではの風情が漂う。歴史的な建造物が照らし出される赤レンガ倉庫自体のライトアップも見もの。
三溪園中央の小高い丘に立つ三重塔。聖武[しょうむ]天皇創建の京都燈明寺にあったもので、康正3年(1457)の室町時代の建築。大正3年(1914)に三溪園内に移築された。総高約24m。関東地方にある木造の塔では最古で、三溪園のシンボル。
三溪園の外苑にある茅葺の草庵風建物で、6畳ほどの小間と広い土間から成る。かつて内部に横笛の像を安置していたことからこの名でよばれている。因みに横笛は、高倉天皇の中宮である建礼門院に仕えた女官で、平重盛の従者・斉藤時頼(滝口入道)との悲恋で知られる女性。
三殿台遺跡として一般に公開し、標高約55mの丘陵上にある縄文・弥生・古墳時代の集落跡で、国の史跡に指定されている。各時代の復元住居や住居跡保護棟を整備するとともに、併設の三殿台考古館では出土品を展示している。
三溪園内苑にある、小さな2階がついた楼閣建築。元和9年(1623)に徳川家光が京都二条城内に建てさせたといわれ、後に春日局[かすがのつぼね]に与えたと伝わる。書院造だが、左右対称を避け、茶室の趣がある。
慶長8年(1603)に京都伏見城内に建てられた、諸大名伺候の控室であったと伝えられている。内部には海北友松[かいほうゆうしょう]筆と伝わる襖絵、菊の意匠の透かし彫りの欄間がある。大正7年(1918)に三溪園に移された。
明治~大正時代の横浜を今に伝える資料館。明治42年(1909)、和洋併設型住宅として建てられた中澤邸の洋館部分を、昭和52年(1977)に移築。開港当時の様子を描いた横濱浮世絵、マンガの原型・ポンチ絵、ギヤマン、オルガン、蓄音機や外国人墓地全景の150分の1模型を解説付きで展示している。開港当時の生活を伝える家具・ガラス食器などのコレクションも豊富だ。山手変遷誌1620円など受付で販売。所要20分。
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