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臨済宗国泰寺派の大本山。嘉元2年(1304)に慈雲妙意[じうんみょうい]が創建した東松寺が始まり。足利尊氏が荘園を寄進し、伽藍の修復をしたと伝えられる。明治維新では廃仏毀釈の余波を受けたが、山岡鉄舟[やまおかてっしゅう]の尽力で天皇殿を再建。6月の開山忌には、全国から集まる虚無僧[こむそう]たちの尺八の大合奏が山々にこだまする。
京都の興正寺[こうしょうじ]で明和6年(1769)に建てられ、明治26年(1893)に勝興寺に移築された。檜皮葺切妻屋根に前後唐風造の建築様式が珍しい。牡丹唐草の腰欄間[らんま]や妻飾などの彫刻類も必見だ。
奈良、鎌倉と並んで有名な、大仏寺(尼寺)所有の大仏。創建は延享2年(1745)だが、幾度かの焼失を経て現在の大仏は昭和8年(1933)に建立された銅造阿弥陀如来座像。総高15.85m、総重量65トン、4.54mの大円輪光背がそびえる堂々とした姿は、高岡銅器職人の傑作といえる。歌人・与謝野晶子が「鎌倉大仏より一段と美男」と誉めたたえたことでも知られる。
加賀前田家3代当主・前田利常が、2代利長の三十三回忌にあたり、正保3年(1646)に造営した墓所。墓域の中心には二段築造の御廟(幅15.5m)が位置。御廟の全面は加賀の戸室石で覆われ、立面は狩野探幽の下絵と伝承される130枚もの蓮花図が陽刻。江戸時代の石造美術としても高い価値を有している。菩堤寺の瑞龍寺、菩堤寺と墓所を結ぶ八丁道、墓守寺である繁久寺からなる広大な空間は、近世大名墓所として破格の規模と内容を誇るものだ。
浄土真宗本願寺派の古刹。越中の触頭として勢力を誇った寺で、江戸時代には加賀藩の庇護を受けた。令和3年(2021)には平成の大修理が終了。越中国庁跡といわれる約3万平方mの境内には、国宝の本堂と大広間・式台をはじめ、唐門、書院・奥書院、鼓堂、経堂など、12棟の国指定重要文化財の堂宇が並び立つ。周囲に土塁や濠をめぐらしおり、中世の城郭寺院の佇まいも残している。洛中洛外図屏風などの絵画や工芸品のほか、親鸞・蓮如などの書跡や、武田信玄・豊臣秀吉・前田利長らの書状も多数所蔵している。
高岡の基礎を築いた2代目藩主前田利長の菩提寺として、3代目藩主前田利常が寛文3年(1663)に建立した曹洞宗の巨刹。総門および、いずれも国宝の山門、仏殿、法堂が一直線に並び、周りを300mの回廊で結んだ典型的な禅宗伽藍形式。仏殿は鉛で屋根を葺いている。
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