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古代豪族鴨氏の守護神を祀る神社。延喜式には名神大社として名を連ね、貞観元年(859)には従一位に叙せられた。全国の賀茂社の元宮にあたる。境内の奥に立つ三間社流造の本殿(国指定重要文化財)は、天文12年(1543)の再建。4月下旬~5月上旬に見ごろとなるニホンサクラソウは、昭和35年(1960)に先代宮司が京都の自邸から持ち帰って増やしたもの。約500種2000鉢を数える。
奈良時代に元正天皇の勅願で行基が開いた高天寺に始まると伝わる。金剛山中腹の台地に立つこの寺の背後が高天原の伝承地。静かな一帯はまさに神々のふるさとを思わせる。
修験道の開祖・役行者[えんのぎょうじゃ]の生誕地で、左義長や薬の発祥地と伝えられる。堂内には不動明王を中心とする五大明王が本尊として祀られ、役行者32歳像や白専女[しらとうめ]・役行者母親像を安置する。毎年1月14日には1300年以上の伝統を誇る大とんど左義長法要が行われ、高さ5m以上もある雌雄1対の松明に火をつけて、世界平和を祈る。
境内は祭神の一言主大神が現れた神降の地とされ、神秘的な雰囲気が漂う。正しくは葛城一言主神社。一言主神は雄略[ゆうりゃく]天皇が葛城山を訪れた際にも現れ、「吾[あ]は悪事[まがごと]も一言、善事[よごと]も一言、言離[ことさか]の神、葛城の一言主の大神なり」と名乗ったという。地元で「一言さん」と親しまれ、一言の願いなら何でもかなうと信じられている。境内には推定樹齢1200年の大イチョウや土蜘蛛[つちぐも]を埋めたとされる蜘蛛塚、松尾芭焦の句碑などもある。
金剛山麓に広がる台地上に位置する。付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、現在も高天の地名が残る。延喜式では最高の社格とされた名神[みょうじん]大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊[たかみむすび]神。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。参道の両側には杉の古木が立ち並び、神さびた雰囲気を漂わせている。
緩やかな傾斜地に山門や本堂、鐘楼が配置された優雅な寺。奈良時代の高僧・行基の開創と伝わる。寺伝によると、行基が夢枕に現れた老人に「山の中に船形の大きな岩がある。岩の上に薬師如来を祭るように」と告げられ、その地に庵を建てたのが始まりという。境内には1000株ものツツジやサツキがあり、裏山を借景にした池泉回遊式庭園も見事。
古代豪族鴨氏の氏神社として、崇神[すじん]天皇のころに祀られたとされる。高鴨神社の上鴨社に対して、下鴨社とも呼ばれている。毎年7月16日と体育の日の前々日に行われる献灯行列は、奈良県南部の提灯奉納行事の中で最も規模が大きく、三段の「ススキ提灯」を奉納する。付近の鴨都波遺跡は、弥生時代の大規模な集落跡。
興福寺の座主として名僧の誉れ高かった一和僧都が、天歴5年(951)に開いたとされる。南北朝時代には楠木正成[くすのきまさしげ]の祈願寺となり、南朝方の合言葉に「極楽寺」が用いられたという。慶長19年(1614)、大和郡山筒井氏との戦火によって焼かれたが、寺宝の天得如来像図と鐘楼門は焼け残り、再興のきっかけとなった。
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