
橋本院(高天寺橋本院)
奈良時代に元正天皇の勅願で行基が開いた高天寺に始まると伝わる。金剛山中腹の台地に立つこの寺の背後が高天原の伝承地。静かな一帯はまさに神々のふるさとを思わせる。
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奈良時代に元正天皇の勅願で行基が開いた高天寺に始まると伝わる。金剛山中腹の台地に立つこの寺の背後が高天原の伝承地。静かな一帯はまさに神々のふるさとを思わせる。
猿目橋バス停から旧道の坂道を少し下った所に、道をふさぐように立つ。人の背丈ほどもある大きな石に6体の地蔵が横一列に浮彫りされた、地元の大切な守り神だ。
緩やかな傾斜地に山門や本堂、鐘楼が配置された優雅な寺。奈良時代の高僧・行基の開創と伝わる。寺伝によると、行基が夢枕に現れた老人に「山の中に船形の大きな岩がある。岩の上に薬師如来を祭るように」と告げられ、その地に庵を建てたのが始まりという。境内には1000株ものツツジやサツキがあり、裏山を借景にした池泉回遊式庭園も見事。
標高約959m。山頂付近は高原状になっており、360度の大パノラマが楽しめる。東には大和三山が浮かぶ奈良盆地、南には吉野・大峯の雄大な山並みを望み、西には大阪湾や淡路島、明石海峡大橋も見渡せる。一帯には一目100万本といわれるツツジの大群落が広がり、5月半ばに山上は燃え立つように紅く染まる。秋は一面のススキの原、冬は霧氷と、四季折々に美しい表情を見せる。
大阪と奈良の県境にある標高約960mの葛城山にかかるロープウェイ。葛城登山口駅から葛城山上駅まで約6分で一気に上れば、御所市周辺一帯の大和平野がまるで鳥瞰図のように見渡せる。葛城山上駅からは徒歩15分で葛城山の山頂へ。春はツツジ、夏は新緑、秋はススキ、冬は樹氷といった四季折々の景色が楽しめる。
境内は祭神の一言主大神が現れた神降の地とされ、神秘的な雰囲気が漂う。正しくは葛城一言主神社。一言主神は雄略[ゆうりゃく]天皇が葛城山を訪れた際にも現れ、「吾[あ]は悪事[まがごと]も一言、善事[よごと]も一言、言離[ことさか]の神、葛城の一言主の大神なり」と名乗ったという。地元で「一言さん」と親しまれ、一言の願いなら何でもかなうと信じられている。境内には推定樹齢1200年の大イチョウや土蜘蛛[つちぐも]を埋めたとされる蜘蛛塚、松尾芭焦の句碑などもある。
近世に宿場町として栄えた名柄集落に残る豪壮な住宅。慶長年間(1596~1615)に代官屋敷として建てられたもので、重要文化財に指定されている。内部の見学は要予約。
古代豪族鴨氏の氏神社として、崇神[すじん]天皇のころに祀られたとされる。高鴨神社の上鴨社に対して、下鴨社とも呼ばれている。毎年7月16日と体育の日の前々日に行われる献灯行列は、奈良県南部の提灯奉納行事の中で最も規模が大きく、三段の「ススキ提灯」を奉納する。付近の鴨都波遺跡は、弥生時代の大規模な集落跡。
金剛山麓に広がる台地上に位置する。付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、現在も高天の地名が残る。延喜式では最高の社格とされた名神[みょうじん]大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊[たかみむすび]神。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。参道の両側には杉の古木が立ち並び、神さびた雰囲気を漂わせている。
興福寺の座主として名僧の誉れ高かった一和僧都が、天歴5年(951)に開いたとされる。南北朝時代には楠木正成[くすのきまさしげ]の祈願寺となり、南朝方の合言葉に「極楽寺」が用いられたという。慶長19年(1614)、大和郡山筒井氏との戦火によって焼かれたが、寺宝の天得如来像図と鐘楼門は焼け残り、再興のきっかけとなった。
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