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境内には毛利元就が再建した建物も残る
応永17年(1410)、大内氏の支族の鷲頭弘忠[わしのうずひろただ]が創建したと伝わる曹洞宗の古刹で、西の学府として栄えた。しかし天文20年(1551)、陶隆房[すえたかふさ]の謀反にあって山口を追われた大内氏31代義隆がここで自刄し、堂宇を焼失。現在の建物は毛利元就が再建したもので、広い境内に本堂、開山堂、観音堂などが立つ。境内を流れる大寧寺川に架かる盤石橋[ばんじゃくきょう]は、2枚の石盤を大小の石で支えた橋で防長三奇橋のひとつ。本堂裏手の山の中腹には、大内義隆主従の墓がある。