一般に七稲地蔵[なないねじぞう]の名で通っているとおり、境内には稲を抱いた7体の地蔵が立っている。安政5年(1858)、地震や長雨による凶作が続き米価が暴騰。飢えた民衆が当時町人入山禁止だった卯辰山に入り込み、米が高くて食べられないと直訴したいわゆる泣き一揆が起こった。7体の地蔵は、この一揆で処刑された首謀者7人を祭ったもの。
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