
安江八幡宮
天慶2年(939)創建。前田家当主が代々病気平癒の祈願に訪れた由緒ある安江八幡宮は、起上り発祥の地。お守りや絵馬、ご朱印帳にまで起上りモチーフが。英語が話せる神主による神社ツアーが定期的に行われている。
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天慶2年(939)創建。前田家当主が代々病気平癒の祈願に訪れた由緒ある安江八幡宮は、起上り発祥の地。お守りや絵馬、ご朱印帳にまで起上りモチーフが。英語が話せる神主による神社ツアーが定期的に行われている。
寛政6年(1794)、加賀藩藩校の鎮守として創建された。前田家の祖先と伝わる、学問の神様、菅原道真を祀り、合格祈願の社として地元の信仰が厚い。相殿に金運・災難除けの白蛇龍神も祀る。本殿・拝殿は国指定保存文化財に指定されている。
寛永20年(1643)加賀藩四代藩主前田光高が曽祖父である徳川家康公(東照大権現)をお祀りするため、金沢城北の丸に建立された。朱塗りで彫刻や飾り金具が施され、日光東照宮の縮図ともいわれ、明治11年(1878)、金沢城内に陸軍省が駐屯することとなり、現在地に移築された。本殿、拝殿、幣殿、中門、透塀等は国の重要文化財に指定されている。
加賀藩祖の前田利家公と、正室お松の方を祀る神社。前田家代々の世嗣が住んだ金谷御殿の跡で、ギヤマンをはめ込んだ和洋折衷の神門(重要文化財)が目をひく。高さ25m。特にギヤマンが夕日に映える頃が美しい。琴や琵琶をかたどった橋や島を配した池泉回遊式庭園、金沢城の遺構である東門も見ておきたい。
門前の黒板にはエスプリの効いた箴言が。定期的に書き換えられ、楽しみにしている地元住民も。本堂と鐘楼は市の文化財。2層の鐘楼が珍しい。
天正13年(1585)、前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立。その後、3代藩主・利常が幕府からの攻撃に備え、寛永20年(1643)現在地に移築した。本堂に続く庫裏は外観が2階建て、内部が4階7層。23の部屋と29の階段がある。物見台ともとれる本堂屋上の望楼、金沢城への地下道と伝えられる大井戸、隠し部屋や隠し階段、ドンデン返し、抜け穴などもあり、別名・忍者寺ともよばれるほど複雑な構造。巧妙に外敵の目をあざむけるようになっている。拝観はガイド付きで予約が必要。幼児、未就学児は保護者同伴でも拝観不可。
明治11年(1878)、紀尾井町事件の首謀者たちが本拠地の1つとした寺。現住職彫刻の石の仁王門は必見。境内には水琴窟もあり、いつでも聞くことができる。繊細で可憐な音色だ。
寛永元年(1624)の建立で、元禄年間(1688~1704)に現在地に再建された。心岩上人作の人骨地蔵尊が有名。高さ4m33cmもある極彩色の地蔵尊で、顔・首・胸・両手・両足の白い部分は、誰にも拝まれることのない無縁仏の人骨が塗り込められているという。心岩上人の自画像図、念仏書、来迎図などを納めた什物堂[じゅうぶつどう]もある。
加賀百万石の前田利家公の守り本尊である、摩利支天をまつる真言宗の寺。日本三摩利支天のひとつで、毎朝護摩修法が行われる必勝祈願の霊場だ。金沢市指定眺望点。
鬼子母神を祭る寺で、子授けや安産を願う参拝者が多い。泉鏡花も幼い頃、母と参拝に訪れたという。人形塚があることから人形寺とも呼ばれ、毎年4月29日には人形供養会が行われる。初夏には、境内のザクロが赤い花をつけ美しい。歌舞伎役者の初代中村歌右衛門の墓、加賀蒔絵の祖五十嵐道甫[どうほ]の墓碑もある。
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