
城端別院善徳寺
浄土真宗大谷派、蓮如上人開基の寺。蓮如上人が文明3年(1471)に加賀で開山し、永禄2年(1559)に城端へ移転。境内には龍の彫刻を施した山門や鐘楼などが並ぶ。7月22~28日の虫干法会では、蓮如ゆかりの品々や前田家から寄進された寺宝を公開。優美な彫刻が施された山門と重厚な造りの本堂に加え、太鼓楼と鐘楼も富山県指定文化財。本堂では朝は6時30分~、午後は14時~、365日欠かすことなくお勤めと法話が行われている。宿坊宿泊可(要予約)。
- 「城端駅」から徒歩12分
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浄土真宗大谷派、蓮如上人開基の寺。蓮如上人が文明3年(1471)に加賀で開山し、永禄2年(1559)に城端へ移転。境内には龍の彫刻を施した山門や鐘楼などが並ぶ。7月22~28日の虫干法会では、蓮如ゆかりの品々や前田家から寄進された寺宝を公開。優美な彫刻が施された山門と重厚な造りの本堂に加え、太鼓楼と鐘楼も富山県指定文化財。本堂では朝は6時30分~、午後は14時~、365日欠かすことなくお勤めと法話が行われている。宿坊宿泊可(要予約)。
瑞泉寺の山門。間口20.3m、奥行15.5m、高さ17mの総ケヤキ重層伽藍造。享和元年(1801)、京都の大工・柴田新八郎によって再建された。正面の竜の彫刻は、京都の名工・前川三四郎によるもの。2階天井には、岸派森間材(寒峯)作の『天女と瑞雲』が描かれている。花紺青(顔料)を使い鍮泥[ちゅうでい]地技法により描かれたという国内でも珍しいもの。山門楼上全体は日光東照宮陽明門など数例という、鉄漿染[てっしょうぞめ]が施されている。富山県重要文化財。太子伝会期間中には、2階が拝観できる。
瑞泉寺の式台門(勅使門)。後小松天皇(在位1382~1412)の勅願所だったことから、門扉に菊の紋章がある。扉の両脇には、前川三四郎の弟子で井波彫刻の祖・番匠屋七左衛門の代表作、獅子の子落としが彫られている。
観音堂の外陣に狩野永徳・山楽が描いたとされる3枚の黒馬の絵馬が掲げられている。元和8年(1622)の寄進銘があり、これには加賀3代藩主前田利常が夫人の産後の健康を願って奉納したという説がある。
明徳元年(1390)、本願寺5代綽如上人[しゃくにょしょうにん]が浄土真宗の布教の拠点として開創。天正9年(1580)兵火に罹り、宝暦12年(1762)に類焼し、明治12年(1879)の焼失を経て、現在の本堂は明治18年(1886)に再建されたもの。間口46m、奥行43mの単層入母屋造。大きさは全国で4番目ともいわれる建物だ。このほか井波彫刻の技術の高さを見ることができる太子堂、山門、式台門、太鼓堂・台所門など北陸随一の伽藍を誇る。宝物館では、瑞泉寺の発展や歴史を感じさせる法宝物を展示。
文明3年(1471)創建の浄土真宗の寺。蓮如[れんにょ]の書画、数珠などゆかりの品々を所蔵。また、棟方志功が戦時中この寺に疎開した際、華厳松[けごんまつ]などの襖絵を残している。浜田庄司、河井寛次郎の焼き物のほか、世界の民芸品も展示。
インドから渡来した善無畏三蔵[ぜんむいさんぞう]によって養老2年(718)に開かれた名刹。奈良時代に聖武天皇の勅願所として、行基[ぎょうき]が勅命を受けて壮大な伽藍を造営。江戸時代には加賀藩の祈願所になり、2代藩主前田利長が仁王門、観音堂を寄進するなど、数多くの宝物を有する。本堂には珍しい見返阿弥陀如来立像も安置されている。
鎮座の年代は、約2000年前、景行天皇の時代といわれており、縁結び、医薬医療、国土開拓、農耕の神様である大己貴命(大国主命)を主神に、無病息災、延命長寿の神様である天活玉命と、産業の神様である五十猛命を祀っている。
瑞泉寺の太子堂。大正7年(1918)再建。後小松天皇から下賜されたと伝わる、聖徳太子像を安置している。特に堂宇の籠彫り彫刻は必見。7月21~29日の太子伝会には、同じく後小松天皇から下賜されたと伝わる、8幅の太子絵伝をもとに太子の一生の絵解き説法が行われる。期間中、名物さばずしが食べられる(有料)。
文明年間(1469~87)に創建されたと伝えられる浄土真宗の古刹。石山合戦の際には塩硝(火薬の原料)を本願寺に送る役割を果たしたといわれ、江戸時代には加賀藩からも手厚い保護を受けた。珍しい茅葺き屋根の山門(鐘楼門)は、飛騨の匠の作といわれている。また、蓮如[れんにょ]上人の書や顕如[けんにょ]上人の香炉などを収蔵している。
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