やかん体、転倒する。
金沢駅東口に転がっている巨大なやかん。実はこれ、市内の目抜き通りに設置するアートを選ぶ「金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2006」の最優秀作品で、作品名は『やかん体、転倒する。』。丸々としたフォルムがユーモラスだ。
- 「北鉄金沢駅」から徒歩2分/「金沢駅」から徒歩2分
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金沢駅東口に転がっている巨大なやかん。実はこれ、市内の目抜き通りに設置するアートを選ぶ「金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2006」の最優秀作品で、作品名は『やかん体、転倒する。』。丸々としたフォルムがユーモラスだ。
長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡。代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡で、格式を重んじた当時の様式を見学できる。特に、加賀藩のお抱え絵師で狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸などは、文化財的な評価も高い。また、庭園には樹齢400年のヤマモモやシイの古木、六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋などが配置され、濡れ縁のすぐ下にまで迫る曲水、落水を配した佇まいからは、屋敷と庭園とが調和した造りを感じられる。また、石造りの階段を上ると茶室があり、眼下に庭園を眺めながら抹茶を頂ける(詳細要問合せ)。
金沢出身の文豪、泉鏡花の代表作『義血侠血』には浅野川が登場。梅ノ橋のそばにはヒロインの水芸人「滝の白糸」をイメージした像がある。センサーに手をかざすと水芸を始める。
兼六園内にある歴代藩主の別荘。かつては噴水前にあり明治初期に取り壊されたが、平成12年(2000)に再現。ゆったり腰を下ろして庭園を眺めながら、煎茶310円や抹茶730円(ともに和菓子付)が味わえる。
寛永9年(1632)に3代藩主利常が板屋兵四郎に命じて造らせた水路。当時の金沢はたび重なる火災から城下を守るための防火用水や、水の便が悪かった金沢城内への引水が必要だった。そこで城から約11km離れた犀川上流の上辰巳町から兼六園まで水路を造り、当時の技術としては画期的な逆サイフォン方式で兼六園から金沢城へと水を導いたのだ。今も石引通りの歩道沿いなどで、水路の一部を見ることができる。
天正11年(1583)、前田利家が金沢城に入城した直後から本格的な築城を開始。約30万平方mの敷地に20もの櫓がある城だったが、度重なる火災から現在国指定重要文化財となっている石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫の3棟のみが残った。一時は金沢大学のキャンパスとして使用されていたが、現在は金沢城公園として、二の丸広場を中心に本丸園地や三の丸広場などが整備され、橋爪門、河北門、鼠多門・鼠多門橋、玉泉院丸庭園などが復元されている。なかでも二の丸広場に伝統的な木造軸組工法で復元された長大な菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の見学は、コンピューターグラフィックス映像での解説や模型・発掘調査出土品の展示などもあって楽しめる。
大正11年(1922)に旧陸軍第九師団長官舎として建てられた。玄関周囲に当時の面影が残る。石川県内外の文化財の修復を行う石川県文化財保存修復工房に隣接。修復作業工程を映像などでわかりやすく紹介するほか、実際の修復作業の様子も見学できる。
兼六園内の霞ケ池北岸に立つ灯籠。灯籠の足が二股になっていて、ちょうど琴の糸を支える琴柱に似ていることからこの名がある。その前に架かる虹橋を琴に見立てた意匠は、兼六園のシンボルとなっている。
大正11年(1922)、芸妓の稽古場や事務所として建てられた瓦葺の建物。平成15年(2003)7月1日に国登録有形文化財に指定された。寄棟造り、下見板張りの洋風建築は、大正ロマンを偲ばせる。
加賀藩の中級武士、高田家の屋敷跡。復元された重厚な長屋門が見もの。長屋門はその名の通り長屋付きの門で、厩と仲間部屋、納屋が備わっている。
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