高山寺
紀伊田辺駅の北、会津川のほとりに立つ「弘法さん」で親しまれる寺。寺伝によると、草創は聖徳太子で、弘法大師が中興したとされ、豊臣秀吉の紀州征伐で焼き討ちされた。境内を見渡すと、文化年間(1804~18)に建てられた多宝塔がひときわ目を引く。また、縄文時代の貝塚跡や、墓地には南方熊楠[みなかたくまぐす]や合気道創始者の植芝盛平[うえしばもりへい]の墓もある。
- 「紀伊田辺駅」から徒歩16分
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紀伊田辺駅の北、会津川のほとりに立つ「弘法さん」で親しまれる寺。寺伝によると、草創は聖徳太子で、弘法大師が中興したとされ、豊臣秀吉の紀州征伐で焼き討ちされた。境内を見渡すと、文化年間(1804~18)に建てられた多宝塔がひときわ目を引く。また、縄文時代の貝塚跡や、墓地には南方熊楠[みなかたくまぐす]や合気道創始者の植芝盛平[うえしばもりへい]の墓もある。
5世紀初めに、熊野権現を勧請し、建立されたと伝えられる神社。社名は、弁慶の父といわれる熊野別当湛増[たんぞう]が、壇ノ浦の合戦の際に源平両軍から支援を求められ、どちらにつくか迷ったので、この神社の境内で紅白の鶏を闘わせて占い、源氏に加勢したことから付いた。境内には江戸時代建築の社殿が立ち並び、社務所には、湛増の鉄烏帽子や鉄扇、源義経愛用の笛、弁慶の産湯の釜が、社宝として展示されている。
熊野古道のメインルートともいわれる中辺路にあるスポット。乳岩は滝尻王子近くにある大岩。かつて熊野参詣の途中で産気づいた藤原秀衡の妻が、この地で赤子を産み落としたといい、参詣の間、残された赤子はこの大岩から滴り落ちる乳を飲み、オオカミが守り育てていたという伝説が残る。すぐそばの大岩の下にできた穴は、「胎内くぐり」として安産祈願をする女性に昔も今も人気。
熊野古道の中辺路[なかへち]の道と国道311号との接点にある道の駅。古道を歩く人とドライバーの両者の休憩の地として利用されている。花笠をイメージした外観の物産販売所では、中辺路町の特産品である「めはり寿司」や「草餅」など手作りの商品や、季節の地場産品を取り揃えている。ゆったりとした座敷を完備した喫茶コーナーもあり、くつろぎながらうどんやそばなどを味わうこともできる。周辺には可愛らしい「牛馬童子像」や、後鳥羽上皇が歌会を催したとされる「近露王子」などがあり、手軽な古道ウォークも楽しめる。
会津川河口付近にかかる田辺大橋のたもとにある。田辺領主・安藤家が居城とした錦水城(田辺城)の水門で、会津川への出入門として利用されていた。現在はその石垣だけが残されている。
和歌山県下一を誇る3万平方mの広さで、開園日が県内でも早いぶどう園。より安全でより甘いぶどうを目指して栽培している。この園で栽培したぶどう(甲斐ノワール)をワインにして販売もしており、これは日本でも珍しい。ぶどう狩りの品種は、ピオーネ、巨峰、シャインマスカットほか、富士の輝き、バイオレットキング、マイハート、雄宝、クィーンセブン、クィーンニーナ、オリエンタルスターなど12品種。
熊野詣に同行した藤原定家の旅日記や滝尻王子の出土品の展示などで熊野古道の歴史を学べる資料館。案内マップなども揃うので、古道歩きの前に立ち寄りたい。平安衣装の貸出し(2500円、9~15時)も受付。
日本三大美人の湯・龍神温泉にほど近い日高川沿いの宿。カフェ「もんぺとくわ」併設のドミトリースタイルの宿で、定員は7名。グループでの貸し切りもでき、素泊まり、食事付き、体験付きなどのプランを用意。自家ファームの野菜を使用した料理が好評だ。12~3月には、田舎家庭料理を作って味わえる体験や、杵と臼で昔ながらの餅つき体験(4600円、5~7名)も楽しい。
文久3年(1863)に尊皇攘夷を訴え挙兵した天誅組の志士8人が、再挙を計って小又川へ逃れたが、同年9月22日に自首し、幽閉された倉。復元された茅葺屋根に白壁の倉の内部には、天誅組のリーダー水郡[にごり]長雄が血書した辞世の歌なども残っている。
チベットの僧たちが戦火を逃れてインドに渡り、日本へもたらされた極彩色で繊細に描かれたチベット曼荼羅や仏画など、貴重な仏教資料を収蔵公開する施設。
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