
闘けい神社
5世紀初めに、熊野権現を勧請し、建立されたと伝えられる神社。社名は、弁慶の父といわれる熊野別当湛増[たんぞう]が、壇ノ浦の合戦の際に源平両軍から支援を求められ、どちらにつくか迷ったので、この神社の境内で紅白の鶏を闘わせて占い、源氏に加勢したことから付いた。境内には江戸時代建築の社殿が立ち並び、社務所には、湛増の鉄烏帽子や鉄扇、源義経愛用の笛、弁慶の産湯の釜が、社宝として展示されている。
- 「紀伊田辺駅」から徒歩7分
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5世紀初めに、熊野権現を勧請し、建立されたと伝えられる神社。社名は、弁慶の父といわれる熊野別当湛増[たんぞう]が、壇ノ浦の合戦の際に源平両軍から支援を求められ、どちらにつくか迷ったので、この神社の境内で紅白の鶏を闘わせて占い、源氏に加勢したことから付いた。境内には江戸時代建築の社殿が立ち並び、社務所には、湛増の鉄烏帽子や鉄扇、源義経愛用の笛、弁慶の産湯の釜が、社宝として展示されている。
会津川河口付近にかかる田辺大橋のたもとにある。田辺領主・安藤家が居城とした錦水城(田辺城)の水門で、会津川への出入門として利用されていた。現在はその石垣だけが残されている。
高さわずか50cmの像で、平安時代の花山法皇の旅姿を偲んで彫られた石仏。記念撮影スポットとしても人気で、その愛らしい姿が訪れる人の心を癒してくれる。近くには、のどかな田園風景を一望できる東屋も。
日本画家の野長瀬晩花や南画家の渡瀬凌雲など、地域ゆかりの作家の作品を展示する他、現代の表現も紹介している。
自家農園で実る梅を、化学調味料を一切使わず梅干に。その理由は「せっかく健康にいい食べ物なのだから…」と代表の小川美和氏。シイタケの出汁に漬け込んでまろやかな味わいに熟成させた椎香梅は道の駅水の郷日高川龍遊内のこすげ茶屋で販売。
日高川上流の渓流沿いにたたずむ、日本三美人湯の一つとして知られる龍神温泉の共同浴場。男性浴場は1階、女性浴場は3階に設けられている。かけ流しの温泉がたたえられる檜と大岩造りの内風呂と、渓流沿いに岩造りの露天風呂がある。
紀伊田辺駅の北、会津川のほとりに立つ「弘法さん」で親しまれる寺。寺伝によると、草創は聖徳太子で、弘法大師が中興したとされ、豊臣秀吉の紀州征伐で焼き討ちされた。境内を見渡すと、文化年間(1804~18)に建てられた多宝塔がひときわ目を引く。また、縄文時代の貝塚跡や、墓地には南方熊楠[みなかたくまぐす]や合気道創始者の植芝盛平[うえしばもりへい]の墓もある。
丹生ノ川の上流にあるキャンプ場。深い山々の緑に囲まれた清流そばのサイトで、せせらぎや野鳥の声を聞きながら過ごせる。管理棟にもなっている温泉館は、美人をつくる美白湯と女性に評判。廃校の小学校を利用した宿泊施設もある。
バス停龍神温泉から温泉寺を通り、裏手の山へ続く急勾配の遊歩道を約600mほど上る。途中には休憩所があり、狭い石段をさらに上ると、白糸が流れるような滝が見られる。名前は、弘法大師が付けたと伝えられている。中里介山[なかざとかいざん]の小説『大菩薩峠』で、主人公の机龍之介[つくえりゅうのすけ]が、失明寸前の時、この滝で洗眼し全治したという場面があり、碑が滝のそばにある。
紀伊半島の大部分を占める紀伊山地にある3つの霊場と参詣道。自然を崇拝する神道と、中国から伝来し日本で発展した仏教が結び付き、修験道という信仰の形を生んだ神仏融合の霊場として隆盛した。1つ目の霊場は、熊野本宮大社と熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山。ここに通じる熊野古道の5つの道のうち紀伊路を除いた4つが遺産に登録されている。2つ目の吉野・大峯は、千数百m級の山々が続く修験道の聖地で、熊野本宮大社と吉野山を結ぶ大峯奥駈道は参詣道のうち最も険しい。3つ目の高野山は、弘法大師空海が金剛峯寺を創建した真言宗の総本山で、日本仏教の聖地の一つ。参詣道の「高野参詣道 町石道」には、一町・里ごとに町石と里石が立つ。
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