
近藤長次郎邸跡
近藤長次郎(1838-1866)は天保9年(1838)に餅菓子商「大里屋」の長男としてこの地に生まれる。文久2年(1862)、坂本龍馬と同様に勝海舟の門に入り、神戸海軍操練所を経て長崎で薩摩藩の周旋役として活躍する。長州藩のために薩摩藩名義でユニオン号の購入に尽力し、薩長同盟成立に大きく貢献するも、英国留学を計画していたことを責められ自刃したとされる。同郷であり、仲の良かった龍馬は嘆いたという。
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近藤長次郎(1838-1866)は天保9年(1838)に餅菓子商「大里屋」の長男としてこの地に生まれる。文久2年(1862)、坂本龍馬と同様に勝海舟の門に入り、神戸海軍操練所を経て長崎で薩摩藩の周旋役として活躍する。長州藩のために薩摩藩名義でユニオン号の購入に尽力し、薩長同盟成立に大きく貢献するも、英国留学を計画していたことを責められ自刃したとされる。同郷であり、仲の良かった龍馬は嘆いたという。
高知市街の東、浦戸湾に面した山。中国の聖地・五台山に似ているところから、僧行基が命名した。一帯は高知県立都市公園になっていて、6haもの広さの高知県立牧野植物園のほか、四国霊場第31番礼所竹林寺を中心に野中兼山の霊を祭る兼山神社、吸江寺[ぎゅうこうじ]など見どころも多い。夜景の美しさでも知られる。
幕末の土佐藩中級武士・旧手嶋家の長屋門と主屋を復元。内部には日常生活に使った家具や調度品を再現してある。土蔵を移築した資料館には天保元年(1830)の高知市内地図などを展示。
土佐勤王党の盟主、武市半平太の旧宅。もとはか藁葺きで6室あり、8畳の客間の柱には半平太が字を刻んだあとがある。個人宅なので、原則敷地内の公開はしていない。近くに半平太と妻富の墓が寄り添うように建っている。武市半平太旧宅と墓は昭和11年(1936)9月に国の史跡に指定されている。
ごみ焼却エネルギーを利用した温水・温浴施設。25mプール、温浴プール、子供プール(屋内・屋外)やウォータースライダー、屋外流水プール(夏期)などがある。幼児はオムツがとれてから利用可。
高知市の奥座敷、土佐山中切の嫁石地区にある個人所有の梅園。けさき、鶯宿、白加賀、花梅など紅白さまざまな梅の花が咲く。園内には散策道が整備され、赤い毛せんやベンチ等も置かれているので、のんびり梅観賞ができる。弁当持参も可能だ。梅まつり期間中は園内の売店で、いなか寿司などが販売される。また、近くにはオーベルジュ土佐山や直売所もあり、自分の好みに合わせて時間を楽しむことができる。
高知城の東の麓にある。常設展示では、紀貫之の土佐日記などの古典文学から、県出身の小説家で有川ひろらの現代文学まで、高知県にゆかりのある約60名の作家、文学者とその作品を紹介している。なかでも常設展示室企画コーナーは、折々にテーマを変えた展示資料の入れ替えを行っており、メモリアルイヤーを迎えたり、話題になったりした文学者に着目して紹介しているので、来館の度に新しい文学者に触れることができるのが特徴。また、高知ゆかりの物理学者・文学者の寺田寅彦の幅広い業績と生涯をたどる記念室や、県出身の作家で宮尾登美子寄贈の約4900点の資料を随時入れ替えて展示するコーナーもある。
「自由は土佐の山間より」と言われるように、土佐の自由民権運動は近代日本に大きな役割を果たした。その歴史を、板垣退助遭難時の短刀、「自由主義」の焼印、植木枝盛の憲法草案と書斎など、貴重な資料や映像で紹介している。
四国初の砂風呂や、スパゾーン(水着着用・7~8月のみ)を備えた温泉施設。内湯には漆塗り大浴槽と気泡風呂がある。露天風呂には、洞窟風呂、打たせ湯などもある。レストランは和食の料理を用意。温泉と合わせて堪能しよう。
園内では四季折々の花が咲く。桜の時期は、五ノ台などが花見スポットになっている。近くに四国巡礼31番札所・竹林寺や牧野植物園がある。
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