
アーニー・パイル記念碑
沖縄戦当時、最前線からアメリカ本土にニュースを伝え、伊江島で殉職した米従軍記者、アーニーパイルの慰霊碑。
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沖縄戦当時、最前線からアメリカ本土にニュースを伝え、伊江島で殉職した米従軍記者、アーニーパイルの慰霊碑。
湧出(わじー)とは湧き水のことで、60mを超える断崖絶壁の下の波打ち際から真水が湧き出ており、本島からの海底送水が実現するまで島の重要な水源地であった。湧出の水を使った伊江島ソーダや泡盛などが商品化されている。この一帯は60mを超える断崖絶壁が連なり、潮の干潮や空の色によってさまざまな姿を見せてくれる場所。周辺はダイビングや、釣りのスポットとしても有名で、干潮時にはサンゴ礁に棲む熱帯魚の群れを目にすることもできる。
本部半島の北西約9kmに浮かぶ伊江島は、本部港からフェリーで約30分、日帰りでも気軽に旅行が楽しめる島。島の中央にあるツンと尖った標高172mの城山(ぐすくやま)は島のシンボルで、山頂からの眺望は素晴らしく、農業が盛んな伊江島ならではの景色や、海の素晴らしさ、また島の35%を占めている米軍用地なども確認することができる。ほかにもさまざまな表情を見せてくれる観光スポットがたくさんあり、島ならではのゆっくりとした時間を感じながらお気に入りの場所を見つけてみたい。
有名な沖縄芝居、「伊江島ハンドゥー小[ぐゎ]」。その舞台となった島村屋の屋敷跡に建てられた施設だ。この物語は美女ハンドゥー小の悲恋を描いた物語で、沖縄三大悲劇物語の一つとして数えられている。園内にポツンとたたずむハンドゥー小の銅像がなんとも印象的だ。島村屋の民家を復元した民俗資料館では、農具や漁具、生活民具等が展示され、かつての島民の生活を伺い知ることができる。
財団法人わびあいの里・反戦平和資料館は、人生をかけて平和づくりに専念してきた故阿波根昌鴻によって非暴力の平和思想を普及するために設立された。兵器の残骸や兵士の服など戦時中の遺品や戦争時に使用した品が並ぶ資料館。
戦前まで島に自生していたテッポウユリを復活させようと、平成7年(1995)島の北海岸に沿って整備された公園。毎年4月下旬からゴールデンウイークの期間中に行われる伊江島ゆり祭りには、約20万球、100万輪のテッポウユリが咲き誇り、まるで純白のじゅうたんを敷きつめたように見事で、あたり一面はゆりの香りに包まれる。またゆりが咲いていない時期でも楽しめるように、展望台やオリジナルトリックアートも整備されている。ピクニックや釣り、ダイビングスポットにもなっている。
昭和4年(1929)創立の村営の金融機関で、当時としては珍しいコンクリート造りの建物。沖縄戦で伊江島の建物が焼き払われた中、かろうじて原型をとどめていた建物である。地上戦の跡も生々しく、砲弾などの跡が残っており、戦争の恐ろしさを後世に伝える存在として、村の史跡に指定されている。
まぶしい光の世界と深い闇とが激しいまでのコントラストをなす自然洞窟。洞窟を奥に進むと青い海と繋がっている大きな穴から太陽の光が差し込んでいるが、この穴は角度によってはハート形に見えたり、光の加減によっては超音波で捉えた胎児にも見えると言われている。この洞窟はパワースポットとしても知られており、不思議な力を持ったビジル石(力石)があり、不妊の女性がこのビジル石を持ち上げると子宝に恵まれるという言い伝えがある。またニャティヤ洞は沖縄戦で激戦地であった伊江島で大勢の住人が命をしのいだ場所としても知られている。奥行きがある広い洞窟であることから地元では別名「千人洞(せんにんがま)」ともよばれている。
標高172mの伊江島唯一の山。伊江島と本島を結ぶフェリーから望む山の頂は島のシンボルと呼ぶに相応しい貫禄だ。「イージマタッチュー」「ぐすくやま」の名で親しまれており、島の守神として崇敬されている。「タッチュー」とは「尖っている」という意味で、山は新旧の岩盤が擦れ合ってできた世界でも珍しいオフスクレープ現象で形づくられたもの。階段で頂上まで登ることができ、島全域はもちろん、遠くには本部半島や慶良間諸島も望める。
城山に次ぐビューポイントで、北海岸にかけてあたりが一望でき、天候が良いときは遠く伊平屋島・伊是名島を確認することができる。湧出(わじー)とは湧き水のことで、60mを超える断崖絶壁の下の波打ち際から真水が湧き出ており、干潮時に展望台から海を見下ろすとその地点を拝むことができる。
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