妹背山
片男波の内海に浮かぶ小島で、中国の名橋をモデルに築かれた石橋・三断橋で陸と結ばれている。山上には多宝塔が祭られ、石段の下には紀三井寺の遥拝所、観海閣が建てられている。「和歌の浦」は国指定名勝。
- 「紀三井寺駅」から徒歩21分
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片男波の内海に浮かぶ小島で、中国の名橋をモデルに築かれた石橋・三断橋で陸と結ばれている。山上には多宝塔が祭られ、石段の下には紀三井寺の遥拝所、観海閣が建てられている。「和歌の浦」は国指定名勝。
玉津島神社に隣接するもと玉津島神社の祓所[はらいじょ]。海の幸、安産の神様として親しまれてきた神社で、主祭神の塩槌翁尊[しおづちのおじのみこと]は輿の窟[こしのいわや]とよばれる岩穴に鎮座する。傍らに山部赤人[やまべのあかひと]の「若の浦に潮満ちくれば…」の歌碑がある。国指定名勝に指定されている。
片男波公園にある、万葉集の資料館。和歌浦を中心に、和歌山県内で詠まれた万葉歌やその背景、風土などをパネルで展示・解説。館内中央にある円形の壁に、きのくにわかやまに関連する歌107首を、奈良の都から新宮市まで「歌地図」で表している。紀伊万葉シアターでは、漫画家・里中満智子氏のイラスト等で万葉の時代をわかりやすく紹介。まさに万葉づくしの施設だ。所要30分~。
玉津島神社の向かいにある妹背山[いもせやま]。そこにかかる和歌山県内最古の石橋、三断橋を渡ると、和歌浦から紀三井寺を遥拝するため徳川頼宣が建立したとされる水上楼閣がある。現在の建物は昭和38年(1963)に復元されたもの。景勝地としても有名で、名草山にかかる美しい月が眺められる。観海閣を含む「和歌の浦」が国名勝に指定。
玉津島神社向かい側の橋。紀州藩主徳川治宝が嘉永4年(1851)に造らせた当時としては珍しい石組みのアーチ橋。徳川家が紀州東照宮に参拝する際におなり橋として渡っていた。
和歌の浦・玉津島は風光明媚だったことから万葉の時代より和歌に数多く詠まれてきた。和歌の神を祀る神社として朝廷をはじめ多くの歌人の信仰を集める。稚日女尊[わかひるめのみこと]など3神を祀る境内には、小野小町袖掛の塀、根上がり松があり、春には衣通姫桜[そとおりひめざくら]が咲く。国指定名勝に指定されている。
宝亀元年(770)、唐僧・為光上人により開基された古刹。西国三十三所観音霊場第2番礼所。近畿一の早咲き桜の名所で、『万葉集』にも詠まれた和歌の浦の絶景を眺め、松尾芭蕉ら文人墨客が訪れた。寺名の起こりの三井水(清浄水・楊柳水・吉祥水)が今も絶えず湧き出す境内には室町時代建立の多宝塔や楼門、鐘楼など国重要文化財が立ち並ぶ。木造立像では日本屈指の大きさを誇る大千手十一面観音像は大願成就のパワースポットとしても知られる。紀三井寺ケーブルを利用すると231段の石段を登らずにすむのでおすすめ。
遠浅の砂浜で、子ども連れでも安心して楽しめる。干潮時には広大な砂浜で遊ぶことができ、周辺の岩場では磯遊びも楽しめる。遊泳開設期間は特に設けられていない。公的な海水浴場には指定されていない。バーベキュー不可。
紀伊田辺駅の北、会津川のほとりに立つ「弘法さん」で親しまれる寺。寺伝によると、草創は聖徳太子で、弘法大師が中興したとされ、豊臣秀吉の紀州征伐で焼き討ちされた。境内を見渡すと、文化年間(1804~18)に建てられた多宝塔がひときわ目を引く。また、縄文時代の貝塚跡や、墓地には南方熊楠[みなかたくまぐす]や合気道創始者の植芝盛平[うえしばもりへい]の墓もある。
5世紀初めに、熊野権現を勧請し、建立されたと伝えられる神社。社名は、弁慶の父といわれる熊野別当湛増[たんぞう]が、壇ノ浦の合戦の際に源平両軍から支援を求められ、どちらにつくか迷ったので、この神社の境内で紅白の鶏を闘わせて占い、源氏に加勢したことから付いた。境内には江戸時代建築の社殿が立ち並び、社務所には、湛増の鉄烏帽子や鉄扇、源義経愛用の笛、弁慶の産湯の釜が、社宝として展示されている。
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