
今八幡宮
大内氏が山口に入る以前からあった古社で、応神天皇、仲哀[ちゅうあい]天皇、宇治皇子などを祀る。石段の上に立つおごそかな社は、社殿が一直線に並ぶ山口地方特有の建築形式。楼門・拝殿・本殿(すべて重要文化財)は、大内30代義興が再建したもの。裏手には毛利元就を祀る豊榮[とよさか]神社がある。
- 「上山口駅」から徒歩10分
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大内氏が山口に入る以前からあった古社で、応神天皇、仲哀[ちゅうあい]天皇、宇治皇子などを祀る。石段の上に立つおごそかな社は、社殿が一直線に並ぶ山口地方特有の建築形式。楼門・拝殿・本殿(すべて重要文化財)は、大内30代義興が再建したもの。裏手には毛利元就を祀る豊榮[とよさか]神社がある。
明治33年(1900)に山頂を山口県の形に見立て整備された公園。最後の毛利藩主であり、明治維新の功労者でもある毛利敬親公の銅像が立つ。山頂からは、瑠璃光寺五重塔や大内館跡など山口の町並みを眺望することができる。
大正5年(1916)に建てられた、旧山口県庁舎と旧県会議事堂を公開した施設。武田五一らの設計による大正建築の粋を凝らした後期ルネッサンス様式の建築で、国の重要文化財に指定。玄関ホールや正庁会議室、議員控室の天井など、随所に凝ったデザインが見られる。議場、知事室などが見学できる。所要40分。
京を模した街造りを行った大内24代弘世が、応安2年(1369)京都の八坂神社を勧請した神社。本殿(重要文化財)は30代義興が永正16年(1519)に再建したもので、室町時代の様式をよく伝えている。7月に行われる山口祇園祭はこの神社の祭礼。
長州藩13代毛利敬親[もうりたかちか]が幕末の有事に備え、藩政の中心地を萩から山口へ移転。藩主住居の表門として石門が完成したが、第1次長州征討の際に破却された。明治維新後、改めて建設された藩庁門が山口県庁に現存。県指定重要文化財である。
瑠璃光寺の周辺一帯を整備した公園。園内には、国宝瑠璃光寺五重塔や幕末に毛利敬親公が茶事にことよせて藩士と討幕の策を練ったといわれる露山堂[ろざんどう]、薩長連合の志士が集った枕流亭[ちんりゅうてい]、明治時代以降の毛利家墓所、瑠璃光寺資料館(料金:大人200円、中・高生100円、小学生50円、時間:9~17時、無休)などがある。
元亀3年(1572)創建後幾度もの変遷をへて、明治元年(1868)萩城内から移した毛利元就[もうりもとなり]の菩提寺。もともとここは応永11年(1404)大内盛見[おおうちもりはる]が建立した国清寺の跡で、どっしりとした四脚門の山門(重要文化財)は当時の遺構。桟唐戸[さんからど]や花頭窓[かとうまど]が美しい観音堂(重要文化財)は大内氏ゆかりの滝の観音寺の仏殿を移築したもの。
応永の乱で戦死した大内氏25代義弘の菩提を弔うため、弟の26代盛見が建立を計画。嘉吉2年(1442)頃に完成した。高さは31.2m。大内文化を伝える貴重な建造物で、国宝に指定されている。上層ほど塔身が細くなるすらりとした立ち姿と、檜皮葺屋根の伸びやかな反りが美しく、日本三名塔の一つに数えられる。五重塔が立つ瑠璃光寺境内は香山公園と呼ばれ、春の梅や桜に始まり、新緑、ツツジ、紅葉、雪景色と四季折々の風情も格別。五重塔を紹介する展示が充実している瑠璃光寺資料館にも立ち寄りたい。
山口の自然や歴史などを総合的に紹介する博物館。2階には理工、地学、植物、動物、考古、歴史、天文の各展示室があり、3階展示室では、夏休み期間中に親子で楽しめるテーマの大型展覧会や普段は収蔵されている資料を公開するテーマ展など、期間限定の展覧会を開催している。最新情報は山口県立山口博物館のホームページで要確認。
山口市の歴史や民俗、考古などに関する資料を展示。天文3年(1534)、大内義隆が今八幡宮に寄進した鰐口[わにぐち](国指定重要文化財)や、大内氏館跡からの出土品、明治維新関連資料など展示品は多岐にわたる。随時企画展を開催。
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