一の坂川
古都の風情が残る市街地を穏やかに流れる川。大内弘世が京都を模して山口の街造りを行った際、京の鴨川に見立てたといわれる。川岸の桜並木も美しく、3月下旬~4月上旬の開花の時期にはライトアップも実施。初夏は国の天然記念物に指定されているゲンジボタルが幽玄の世界に誘う。周辺には古民家ショップが点在し、まち歩きも楽しめる。
- 「上山口駅」から徒歩12分/「山口(山口)駅」から徒歩17分
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古都の風情が残る市街地を穏やかに流れる川。大内弘世が京都を模して山口の街造りを行った際、京の鴨川に見立てたといわれる。川岸の桜並木も美しく、3月下旬~4月上旬の開花の時期にはライトアップも実施。初夏は国の天然記念物に指定されているゲンジボタルが幽玄の世界に誘う。周辺には古民家ショップが点在し、まち歩きも楽しめる。
大正5年(1916)に建てられた、旧山口県庁舎と旧県会議事堂を公開した施設。武田五一らの設計による大正建築の粋を凝らした後期ルネッサンス様式の建築で、国の重要文化財に指定。玄関ホールや正庁会議室、議員控室の天井など、随所に凝ったデザインが見られる。議場、知事室などが見学できる。所要40分。
明治10年(1877)に開業し、地元出身の歴代首相や大臣経験者や文人などが多く利用、山口の迎賓館とよばれた元料亭・祇園菜香亭を移築し再現した施設。
明治33年(1900)に山頂を山口県の形に見立て整備された公園。最後の毛利藩主であり、明治維新の功労者でもある毛利敬親公の銅像が立つ。山頂からは、瑠璃光寺五重塔や大内館跡など山口の町並みを眺望することができる。
瑠璃光寺の周辺一帯を整備した公園。園内には、国宝瑠璃光寺五重塔や幕末に毛利敬親公が茶事にことよせて藩士と討幕の策を練ったといわれる露山堂[ろざんどう]、薩長連合の志士が集った枕流亭[ちんりゅうてい]、明治時代以降の毛利家墓所、瑠璃光寺資料館(料金:大人200円、中・高生100円、小学生50円、時間:9~17時、無休)などがある。
明治時代の造り酒屋の母屋を整備し、大内塗や山口萩焼、徳地和紙に加えて、市内のものづくり事業者・作家の作品などを展示、紹介する「まなび館」、明治時代の豪農の家屋を再現した「みやび館」、大内塗の実演が見られる「たくみ館」の3館がある。たくみ館では事前予約で大内塗の箸作り体験ができる。
山口市街の大殿大路と堅小路に面した大内氏館跡に、大内氏滅亡後、毛利隆元が建てた大内義隆の菩提寺。明治14年(1881)焼失したが、明治16年(1883)に再建。その際に大内氏の氏寺から室町時代に建てられた興隆寺釈迦堂を移築し、本堂とした。風情のある檜皮葺きの本堂は国指定重要文化財。境内には、大内義隆画像などを展示する龍福寺資料館もあり、境内は春秋には新緑や梅花、紅葉が美しい。
フランシスコ・サビエルは天文18年(1549)に来日、日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師。西国一の大名だった大内義隆を頼って山口を訪れ、本格的な布教活動を行った。わずか5カ月ほどの滞在だったが、受洗者は500人を越えたといわれる。サビエル来訪400年を記念して建てられた聖堂は平成3年(1991)に火災で焼失。その7年後、高さ53mの2本の塔を持つ斬新なデザインの聖堂として再建された。1階にはサビエルの足跡と日本のキリスト教の歩みを紹介する資料があり、2階は光と水と幕屋をテーマとしたステンドグラスが美しい聖堂になっている。
大内氏28代教弘[のりひろ]をたよって山口へ来た画聖・雪舟が一時期過ごした庵の跡。国宝に指定されている雪舟の水墨画『四季山水図』(防府の毛利博物館所蔵)はここで描かれたといわれている。現在の建物は明治37年(1904)に郷土史家たちが古材を集めて復元したもの。
大内氏が山口に入る以前からあった古社で、応神天皇、仲哀[ちゅうあい]天皇、宇治皇子などを祀る。石段の上に立つおごそかな社は、社殿が一直線に並ぶ山口地方特有の建築形式。楼門・拝殿・本殿(すべて重要文化財)は、大内30代義興が再建したもの。裏手には毛利元就を祀る豊榮[とよさか]神社がある。
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