
みもすそ川公園
かつて源平の壇之浦の戦いが行われた古戦場で、園内には源義経・平知盛像と、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれている。関門海峡で最も狭い幅約700mの早鞆[はやとも]の瀬戸沿いにあり、関門橋や最速約10ノットという潮流、行き交う船などを間近に眺められる。
- 「関門海峡めかり駅」から徒歩19分/「ノーフォーク広場駅」から徒歩22分
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かつて源平の壇之浦の戦いが行われた古戦場で、園内には源義経・平知盛像と、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれている。関門海峡で最も狭い幅約700mの早鞆[はやとも]の瀬戸沿いにあり、関門橋や最速約10ノットという潮流、行き交う船などを間近に眺められる。
寿永4年(1185)、壇之浦の戦いに敗れて入水した平清盛の孫・安徳天皇を祀る。二位の尼(清盛の妻)は、8歳の天皇に「波の下にも都の侍ふぞ」と言い聞かせて壇之浦で入水したという。朱塗りの水天門はその「波の下の都」を思わせる華やかな龍宮造。隣接地に安徳天皇御陵、境内には平家の武将の墓碑・七盛塚[ななもりづか]、小泉八雲の『怪談』で有名な耳なし芳一の像を安置する芳一堂、『紙本墨書平家物語20冊』(重要文化財)などを収蔵する宝物館がある。
壇ノ浦古戦場を望むみもすそ川公園にて、下関で繰り広げられた歴史を紙芝居で伝える。令和元年(2019)の演目は『怪談 耳なし芳一』(7月1日~8月31日)、『武蔵・小次郎巌流島の決闘』(9月1日~10月31日)、『下関ふく物語』(11月1日~12月25日)を予定している。
風光明媚な関門海峡に架かる、全長1068mの吊り橋。中国自動車道と九州自動車道を結ぶ高速自動車道で、昭和48年(1973)に開通した。この橋上を徒歩で渡り歩くことはできない。
関門海峡を一望する古城山を含む、瀬戸内海国立公園の一部。源平合戦最後の壇ノ浦[だんのうら]の戦いがあった所も望め、第2展望台デッキからは関門橋から周防灘と下関の大パノラマが広がる。門司城跡や唐人墓なども点在する。
関門海峡がすぐ目の前に広がる公園は、市民の憩いの場としても愛されている。北九州市の姉妹都市であるアメリカのノーフォーク市にちなんで名付けられた。
有田焼の陶板を使った高さ3m長さ44mの壁画。海上を跳躍する源義経、御座船にのる安徳天皇、建礼門院の姿など、うず潮の中で繰り広げられた源平の合戦が描かれている。
電信電話の博物館。明治から現代までに活躍した電信・電話機等を展示、通信のあゆみが一目でわかる。街角で多くの人に親しまれてきたカラフルな公衆電話機は写真映えする人気のコーナー。かつての電話交換手の仕事が体験できるほか、レトロな電話機で会話を楽しんだり、モールス信号を打ったりできる。建物は大正13年(1924)「門司郵便局電話課庁舎」として建てられた100年前の技術の粋を集めた鉄筋コンクリート造り。正面は垂直線を基調に柱の反復がリズムを織りなす意匠で、門司港地区のレトロ建築を代表する建物のひとつだ。
九州の最北端に鎮座する神社。1800年前三韓征伐に向かった神功皇后が、神の教えを受け勝利したことから創建されたと伝わる。御祭神は、「瀬織津姫[せおりつひめ]」という月の女神であり、穢れを祓う禊の神さま、潮の満ち引きを司る「導きの神さま」とも言われている。創建から今日に至るまで、和布刈神社の神さまはこの地で関門海峡を見守り続け、これからも人々の道先を照らし続けている。
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