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石川啄木記念館の敷地内にある啄木の母校の木造校舎(盛岡市指定文化財)。明治17年(1884)に旧渋民村の愛宕神社脇に建設され、松内分教場、松内地区公民館などにも使用された。柾屋根造りや連子格子、囲炉裏のある溜まり場などが、明治前期の面影を残しており、啄木が通学した当時に使用した教室は2階にある。啄木はこの小学校を明治28年(1895)に首席で卒業し、20歳の時には約1年間代用教員を務めた。
石川啄木の歌碑が目印の公園。姫神山[ひめかみさん]、岩手山が望め、すぐそばの北上川に架かる鶴飼[つるかい]橋からの眺めがすばらしい。園内には売店や、休憩所もある。
昭和天皇のご成婚を記念して建築され、昭和2年(1927)に完成した。東京都の日比谷公会堂や早稲田大学大隈記念講堂で有名な佐藤功一氏が設計しており、外壁をスクラッチタイル張りにしたモダンな造りは当時も注目を集めた。平成18年(2006)に国の登録有形文化財として登録され、また、平成25年(2013)に盛岡市の都市景観賞を受賞した。庭園には盛岡出身で「平民宰相」として有名な原敬の胸像(本山白雲作)が設置されている。現在は、会議・習い事教室・イベントなどに、会議室・大ホールを貸し出している。
明治43年(1910)に竣工した旧第九十銀行の建物を保存活用。石川啄木と宮沢賢治が過ごした明治・大正時代の盛岡の街と、2人の歩みを紹介。重要文化財の建物も必見で、旧頭取室(映像体験室)や旧金庫室(光と音の体験室)など見どころ多数。1階には喫茶「あこがれ」やオリジナルグッズを販売するショップもある。
盛岡八幡宮の南、焼失した宗龍寺跡にできた羅漢公園に安山岩を丸彫りした石仏が21体ある。16体の羅漢と5体の五智如来がコの字型に並ぶ。江戸時代後期の天明、天保などの大飢饉で亡くなった人々を供養するため、嘉永2年(1849)に造られた。
北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に位置する城跡公園。盛岡城は、盛岡藩初代藩主・南部信直が築城を開始し、寛永10年(1633)に完成。明治39年(1906)に近代公園として整備され、「岩手公園」として開園した。国指定史跡である盛岡城跡の本丸、二ノ丸、三ノ丸、淡路丸などの曲輪を配した城内には、数多くのあづまやや歌碑・石碑が配され、桜や梅、イロハモミジ、藤棚、アジサイなど、さまざまな植物が四季を彩る。なかでも、盛岡産の花崗岩を積み上げた壮大な石垣は圧巻で、「日本100名城」にも選定されている。
格子の表構えが美しい明治期の盛岡町家。町家カフェ、ギャラリーも併設。展示会や教室などのスペース利用(有料)もできる。見学無料。
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