石川啄木歌碑
渋民公園内にあり、「やはらかに柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」と刻まれた石碑。鶴飼橋の上の小高い丘に立つ。大正11年(1922)に完成した全国第1号の啄木の歌碑だ。渋民の青年たちによって建てられ、高さは4.5m。
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渋民公園内にあり、「やはらかに柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」と刻まれた石碑。鶴飼橋の上の小高い丘に立つ。大正11年(1922)に完成した全国第1号の啄木の歌碑だ。渋民の青年たちによって建てられ、高さは4.5m。
岩山山頂の展望台周辺に広がる、文学ファンや市民に親しまれている公園。昭和57年(1982)に石川啄木の没後70年を記念して建てられた啄木の銅像と、啄木・節子夫妻の歌碑がある。また、啄木生誕111年を記念して平成9年(1997)に設けられた啄木詩の道は、約100mの散歩道に「ふるさとの山に向かひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」など、一首ずつ自然石に刻んだ詩碑が10基配されている。
石川啄木の歌碑が目印の公園。姫神山[ひめかみさん]、岩手山が望め、すぐそばの北上川に架かる鶴飼[つるかい]橋からの眺めがすばらしい。園内には売店や、休憩所もある。
中津川に架かる上の橋の欄干には、18個の擬宝珠が付けられている。擬宝珠とは手すりや橋の欄干に付ける飾りのこと。青銅製で慶長14年(1609)の銘が刻まれるものが8個、慶長16年(1611)の銘が刻まれるものが10個ある。これほど多く残っているのは全国的にも珍しい。国認定重要美術品でもある。
日本初の高等農林学校として明治35年(1902)に開校した旧盛岡高等農林学校。岩手大学農学部附属植物園の緑に囲まれた旧本館校舎は、大正元年(1912)に建てられたもので、木造2階建ての欧風建築は国の重要文化財に指定されている。館内は資料館として公開され、農業に関する学術的な資料や文献などを見ることができ、また、6年間ここで学んだ宮沢賢治に関する資料も展示されている。
盛岡出身の建築家・葛西萬司の設計で、昭和2年(1927)に完成した建物。正面に6本の円柱がそびえ、花崗岩に施された石彫りのパターンが重厚な印象を与えている。
東京で処女詩集『あこがれ』を出版した後の明治38年(1905)6月に、石川啄木と妻節子が結婚生活を始めた家。両親、妹が同居する暮らしは窮迫し、わずか3週間で転居したが、ここでの生活ぶりは随筆『我が四畳半』に記されている。木造平屋建ての家は、藩政時代には中級武士の住む武家屋敷だったもので、盛岡市指定有形文化財だ。内部は啄木が住んでいた当時のままに保存され、啄木の文机や書、節子が愛用した琴などを展示されている。
明治43年(1910)に竣工した旧第九十銀行の建物を保存活用。石川啄木と宮沢賢治が過ごした明治・大正時代の盛岡の街と、2人の歩みを紹介。重要文化財の建物も必見で、旧頭取室(映像体験室)や旧金庫室(光と音の体験室)など見どころ多数。1階には喫茶「あこがれ」やオリジナルグッズを販売するショップもある。
昭和天皇のご成婚を記念して建築され、昭和2年(1927)に完成した。東京都の日比谷公会堂や早稲田大学大隈記念講堂で有名な佐藤功一氏が設計しており、外壁をスクラッチタイル張りにしたモダンな造りは当時も注目を集めた。平成18年(2006)に国の登録有形文化財として登録され、また、平成25年(2013)に盛岡市の都市景観賞を受賞した。庭園には盛岡出身で「平民宰相」として有名な原敬の胸像(本山白雲作)が設置されている。現在は、会議・習い事教室・イベントなどに、会議室・大ホールを貸し出している。
北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に位置する城跡公園。盛岡城は、盛岡藩初代藩主・南部信直が築城を開始し、寛永10年(1633)に完成。明治39年(1906)に近代公園として整備され、「岩手公園」として開園した。国指定史跡である盛岡城跡の本丸、二ノ丸、三ノ丸、淡路丸などの曲輪を配した城内には、数多くのあづまやや歌碑・石碑が配され、桜や梅、イロハモミジ、藤棚、アジサイなど、さまざまな植物が四季を彩る。なかでも、盛岡産の花崗岩を積み上げた壮大な石垣は圧巻で、「日本100名城」にも選定されている。
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