岩手大学農学部附属農業教育資料館
日本初の高等農林学校として明治35年(1902)に開校した旧盛岡高等農林学校。岩手大学農学部附属植物園の緑に囲まれた旧本館校舎は、大正元年(1912)に建てられたもので、木造2階建ての欧風建築は国の重要文化財に指定されている。館内は資料館として公開され、農業に関する学術的な資料や文献などを見ることができ、また、6年間ここで学んだ宮沢賢治に関する資料も展示されている。
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日本初の高等農林学校として明治35年(1902)に開校した旧盛岡高等農林学校。岩手大学農学部附属植物園の緑に囲まれた旧本館校舎は、大正元年(1912)に建てられたもので、木造2階建ての欧風建築は国の重要文化財に指定されている。館内は資料館として公開され、農業に関する学術的な資料や文献などを見ることができ、また、6年間ここで学んだ宮沢賢治に関する資料も展示されている。
慶長14年(1609)、第27代藩主南部利直が盛岡城築城時に中津川に架けた橋。シンボルの擬宝珠は、第12代南部政行が後村上天皇より恩賞として京都の加茂川にかかる橋の擬宝珠の使用が許された故事に因むもの。国指定重要美術品「上の橋 青銅擬宝珠」。
朝島山中腹に広がるりんご園。化学肥料と農薬を抑えた特別栽培のりんごは、実がしまり、果汁が多く、酸味と甘みが絶妙。
東京で処女詩集『あこがれ』を出版した後の明治38年(1905)6月に、石川啄木と妻節子が結婚生活を始めた家。両親、妹が同居する暮らしは窮迫し、わずか3週間で転居したが、ここでの生活ぶりは随筆『我が四畳半』に記されている。木造平屋建ての家は、藩政時代には中級武士の住む武家屋敷だったもので、盛岡市指定有形文化財だ。内部は啄木が住んでいた当時のままに保存され、啄木の文机や書、節子が愛用した琴などを展示されている。
城下町のたたずまいを色濃く残した街並。昔なつかしい望楼のある「番屋」、白壁と貼り瓦、格子戸の低い軒が続く商家「ござ九」などが建ち並ぶ。盛岡を代表する南部紫根染の店もある。中津川に面する土塀、土蔵は川岸の石垣とあいまって、盛岡を代表する景観だ。
花が濃いピンク色のヤエベニシダレヒガンザクラの名所。昭和9年(1934)に浄水場の完成を記念して、9本の苗を植えたのが始まり。桜の時期のみ特別公開している。
大正時代、日本最初の本格的政党内閣を組織。平民宰相と呼ばれた、盛岡市出身の原敬の遺品や書簡などの資料を展示する記念館。生家が保存され、鎌倉にあった腰越別荘の書斎も移築・復元されている。年2回、企画展開催。4~10月の土・日曜、祝日は生家も公開。所要60分。
盛岡八幡宮の南、焼失した宗龍寺跡にできた羅漢公園に安山岩を丸彫りした石仏が21体ある。16体の羅漢と5体の五智如来がコの字型に並ぶ。江戸時代後期の天明、天保などの大飢饉で亡くなった人々を供養するため、嘉永2年(1849)に造られた。
赤松やナラが自生する、赤林山山麓の自然をそのまま生かしたアウトドア施設。アカゲラやオオタカなど野鳥の宝庫でもあり、バードウォッチングが楽しめる。4~11月には、オートキャンプ場1区画1800円(13時~翌11時)、バス・トイレ付きのバンガロー6人用1棟1万5000円(14時~翌10時)を開設。敷地内には、木工手作りが体験できる森林創作実習館やテニスコートもある。
屋内プールや浴場、アリーナなどがある複合施設で、屋内プールは全5種類。人気のスラロームプールは、高さ5mから岩すべりのように滑り降りる長さ25mのウォータースライダーが3本あり、そのダイナミックな滑りは子供は大好き。流れるプールは1周135mで、泳ぎが苦手な人でも歩いたり、流れに身をまかせてのんびりできる。
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