
大洲城
鎌倉時代末期に宇都宮氏により築城されたといわれ、その後藤堂・脇坂・加藤氏ら各大名たちの造営を経て近世城郭が整備された。平成16年(2004)には、史料を基に天守を当時の姿で正確に復元。当時としては戦後復元された木造天守としての4層4階建ては日本初であった。残る4つの櫓は国の重要文化財に指定。
- 「伊予大洲駅」から徒歩18分/「西大洲駅」から徒歩23分
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鎌倉時代末期に宇都宮氏により築城されたといわれ、その後藤堂・脇坂・加藤氏ら各大名たちの造営を経て近世城郭が整備された。平成16年(2004)には、史料を基に天守を当時の姿で正確に復元。当時としては戦後復元された木造天守としての4層4階建ては日本初であった。残る4つの櫓は国の重要文化財に指定。
蛮社の獄で投獄され、牢の火災で脱獄した高野長英は、嘉永2年(1849)、卯之町に潜んだ。中町の一本裏の路地を入ったところにある隠れ家がそれ。ここはシーボルトの塾で同窓だった蘭方医・二宮敬作宅の離れ。今は平屋だが、以前は2階建てで、高野長英が隠れていた2階部分のみを地上に保存したもの。
肱川沿いに広がる水郷・大洲は、藩政時代からの町割りが残っている風光明媚な城下町。肱川随一の景勝地に立つ臥龍山荘をはじめ、白壁土蔵が立ち並ぶおはなはん通りや明治の家並みなど、城下町ならではのしっとりとした町並みが残る。
卯之町の町並みのなかほどにある末光家住宅は、明和7年(1770)に建てられた元商家。普段は外観のみの見学だが、第1日曜の13時30分~15時には建物内が一般公開される。重厚な造り、伝統的な表構えなど昔の建築形式がみどころ。
江戸時代初期に、築城の名手藤堂高虎が瀬戸内海に臨む砂地の上に築いた平城。現在でも、中心部の郭と、砂上にも関わらず高さ10m以上を誇る高石垣、幅約50mの広大な内堀がほぼ完全に残り、まるで水上の要塞のよう。昭和55年(1980)以降に再建が進んだ五重天守や櫓の内部は、今治藩ゆかりの歴史資料や地元の自然・芸術に関わる資料や作品を展示する総合博物館になっており、天守最上階の展望台からは瀬戸内しまなみ海道の絶景が広がる。海水が引かれ、海の魚が回遊する珍しい堀や、夜間の幻想的なライトアップもみどころの一つ。
前方後円墳がほぼ完璧な状態で残っている、国指定史跡妙見山古墳を中心に整備された公園。レトロなレンガ造りのアーチをぬけると、貴重な出土品などを展示した藤山歴史資料館をはじめ、広い芝生広場、木造のアスレチック遊具が揃う冒険斜面園地などがある。家族に人気のスポット。
リアス海岸の続く海に面し、四国百名山に数えられる1000m級の山々を背に、海抜80mの緑深い城山に白亜の天守がそびえる姿から鶴島城の別称を持つ優美な城。慶長6年(1601)に藤堂高虎が築城し、慶長20年(1615)以降伊達家9代の居城となった。10haの城山は国史跡、伊達家2代藩主宗利が建てた天守は現存12天守のひとつで国重要文化財に指定されている。450種の草木が繁茂する豊かな照葉の森も一見の価値あり。
町の東端にある肱川の景勝地・臥龍淵に立つ貿易商・河内寅次郎の別荘で、大洲一番のみどころ。明治時代に10余年の歳月をかけて建てられた数寄屋造の名建築。肱川、冨士山を借景にした庭園に立つ母屋の臥龍院、茶室の知止庵、不老庵の3棟がみものだ。臥龍院、不老庵、文庫は国指定重要文化財。4~5月の日曜、祝日には、臥龍山荘下から出発する屋形船での遊覧、臥龍の渡し(料金:片道300円、問合先:大洲市観光協会)も運航される。
明治15年(1882)に建築された、アーチ型の窓をもつ擬洋風のモダンな校舎。2階には当時の教室が再現され、明治初期の教材「掛図」などを展示している。予約をすれば、明治の模擬授業が体験できる。
昭和3年(1928)建築の旧宇和町小学校校舎を移築し、米に関する資料を展示している。その他に黒板ルームやレンタルオフィス、別棟にはカフェなども併設されている。長さ109mの木造廊下を用いた雑巾がけレースも体験可能(体験料500円~)。
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