
五百羅漢寺
「目黒のらかんさん」として多くの人々に親しまれてきた寺。江戸元禄時代に、仏師でもあった松雲元慶禅師により十数年かけて彫られた木造羅漢像305体は、木造釈迦三尊とともに東京都の有形文化財に指定。本堂や羅漢堂に安置された羅漢像はすべて表情やポーズが異なっている。寺宝や歴史資料が展示されている聖宝殿や予約すれば会席料理や精進料理が味わえるできるらかん亭、甘味を楽しめるらかん茶屋も併設。
- 「不動前駅」から徒歩9分/「目黒駅」から徒歩14分
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「目黒のらかんさん」として多くの人々に親しまれてきた寺。江戸元禄時代に、仏師でもあった松雲元慶禅師により十数年かけて彫られた木造羅漢像305体は、木造釈迦三尊とともに東京都の有形文化財に指定。本堂や羅漢堂に安置された羅漢像はすべて表情やポーズが異なっている。寺宝や歴史資料が展示されている聖宝殿や予約すれば会席料理や精進料理が味わえるできるらかん亭、甘味を楽しめるらかん茶屋も併設。
社殿創建から1200年余りという古社。室町時代の江戸図に描かれ、江戸九社の一つに数えられる。主祭神は日本武尊[やまとたけるのみこと]、相殿神は国常立尊[くにのとこたちのみこと]と弟橘媛命[おとたちばなひめのみこと]。日本武尊が部下の目の病の治癒を祈願された由緒があり、眼病平癒のお守りが有名。11月の酉の市は商売繁盛・開運招福を祈願する行事であり、多くの参拝者で賑わう。
目黒区碑文谷の閑静な住宅街に位置する圓融寺。平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師による創建と伝えられる天台宗の古刹だ。広い境内には阿弥陀堂(本堂)、釈迦堂、仁王門などが立つ。国指定重要文化財である釈迦堂は、東京23区内最古とされる木造建築で、室町時代に建てられたもの。唐様建築に和様の美を取り入れた優美な様式に、入母屋造の美しい屋根の線を見せている。荘厳で静謐な境内は、思わず手を合わせたくなるような雰囲気が漂う。
日蓮宗の寺として天正18年(1590)に創建され、目黒区八雲で430年余の時を刻んで来た。「大いちょうの寺」としても知られ、境内にある大きなイチョウは目黒区最大級のものであり、東京都および区の保存樹に指定されている。祈り、学び、修行の場として、また花まつりやお会式を行い、さまざまな文化活動の場として、ヨガスクールや茶道教室、落語会、童話朗読会などの活動やイベントが行われている。墓地入口に「広島被爆子育て地蔵尊」が奉安されている。
天正年間(1573)創建の神社。上目黒村と呼ばれていたこの地で鎮守神として祀られてきた。大山道(現・玉川通り)から急な石段を登りきると立派な社殿が目の前に現れる。階段脇の崖地に造られた参道は、境内社の目黒富士浅間神社への登山道。江戸時代の富士山信仰から、高台にある境内地を「目黒富士」の山頂に見立てており、現在も7月1日には山開きの例祭が行われる。昭和後期までは山頂である境内から富士山を望めたという。近くを流れる目黒川の氾濫や疫病を鎮める役割もあり、悪疫撤退の神様として親しまれている。
19世紀イタリアで司祭ヨハネ・ボスコにより設立されたカトリックの修道会であるサレジオ会に委託されていることから、「サレジオ教会」の別名でも知られている。緑豊かな住宅地にたたずむ昭和半ば建造の聖堂は、白を基調としたやさしい外観。鐘楼は目黒通りや環状7号線からも見える教会のシンボルになっている。聖画『江戸のサンタ・マリア』は、17世紀半ばに活躍したイタリアの宗教画家カルロ・ドルチの傑作。「悲しみの聖母」ともいわれ、聖画前で祈ることによって、多くの人が慰めと恵みを受けている。
熊野本宮大社の分霊を祀る。主祭神は伊邪那美神。賑わいのある自由が丘の街にあって、今もなお樹齢の古い樹々に囲まれた鎮守の杜は、季節ごとにさまざまな草花が彩を添え、参拝に訪れる人々を迎えてくれる。社頭には可愛い御守りがいろいろある。
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