
子安神社
内宮の所管社の一つで、木華開耶姫命[このはなさくやひめのみこと]を祀る。もとは宇治館町の産土[うぶすな]の神であったともいわれ、安産や子授けの神として今も地元の人たちに広く信仰されている。
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内宮の所管社の一つで、木華開耶姫命[このはなさくやひめのみこと]を祀る。もとは宇治館町の産土[うぶすな]の神であったともいわれ、安産や子授けの神として今も地元の人たちに広く信仰されている。
豊受大御神の荒御魂[あらみたま]を祀る、外宮の第一別宮。土宮の前の石段を登った山の中腹にある。荒御魂は、積極的で活動的な御魂。地元では新しいことに挑戦するときなどに参ると良いといわれる。明治以前は高宮とも書かれていた。
古来より、日の大神(太陽)と、沖合に鎮まる興玉神石[おきたましんせき]を拝するところとして知られてきた。夫婦岩はこれらを拝む鳥居の役割をしている。伊勢参宮の禊場としても知られる。主祭神は道開きの神・猿田彦大神で、境内には天の岩屋・龍宮社のほか、大神のお使いとされる「蛙」の置物が並ぶ。無事カエル・お金がカエルなどのご利益があるとされ、授与所では蛙のお守りなども授与している。
倉田山の一角にある、内宮の別宮の一つ。天照大御神のご鎮座の地を伊勢と定めた、倭姫命[やまとひめのみこと]を祀る。創建は大正12年(1923)と新しく、うっそうとした森の中に神明造の社殿がひっそりと立つ。
木々に覆われた静寂な雰囲気の中に、須佐之男命[すさのおのみこと]を祭る茅葺きの社殿と樹齢2000年の大楠が立つ。かつてこの地を旅した須佐之男命が、親切な蘇民将来[そみんしょうらい]の一家に助けられ、お礼に悪疫退散の札を授けたとの故事が残る。これが伊勢志摩地方に今も伝わる門符の由来。背後のうっそうとした森の中に、蘇民の家があったと伝えられている。
五十鈴川のほとりにある手洗場。敷き詰められた石畳は、徳川綱吉の生母、桂昌院[けいしょういん]の寄進といわれる。ここで心身を清めてから参拝するのが習わしだ。
「お伊勢さん」で親しまれる伊勢神宮とは“伊勢の神宮”のことで、正式名称は「神宮」という。天照大御神を祀る皇大神宮(内宮[ないくう])と、衣食住・産業の守り神・豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮[げくう])の2社をはじめ、別宮、摂社、末社、所管社を合わせて伊勢市内に点在する125社の総称だ。その起源は約2000年前からと伝わり、神宮杉の古代の森に包まれた静謐な大気に満ちた内宮や外宮を巡れば、心が洗われたような清々しい気分に。神宮の中心となるのは内宮で、昔から庶民の憧れだった“お伊勢まいり”の参拝は外宮から内宮へと回るのが通例だ。
外宮の表参道手水舎[てみずしゃ]の向かいにある、高さ10m、樹齢1000余年の楠の大木。平清盛が勅使として参向したとき、冠に当たった枝を切らせたという逸話からその名が付いたといわれる。
内宮と倉田山の間に立つ、内宮の別宮。杉の木立が続く参道を行くと、月読宮、月読荒御魂宮[つきよみあらみたまのみや]、伊佐奈岐宮[いざなぎのみや]、伊佐奈弥宮[いざなみのみや]の4宮が横一列に並んでいる。主宮の月読宮はひとまわり大きく、天照大御神の弟神である月読尊[つきよみのみこと]を祀る。
内宮は正式には皇大神宮[こうたいじんぐう]といい、皇祖神である天照大御神[あまてらすおおみかみ]を祀る。約2000年前の垂仁天皇のころ、皇女であった倭姫命[やまとひめのみこと]が各地を巡られた末、天照大御神の御鎮座の地をこの地に定めたといわれている。神宮の宮域は、5500万平方mにもおよぶ。所要約1時間。
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