東林院(沙羅双樹の寺)
妙心寺境内の東側に位置。享禄4年(1531)、細川氏綱が父の菩提を弔うために建立。本堂前庭には、十数本の沙羅双樹の木があり、その花が美しい寺として知られる。見ごろとなる季節には、沙羅の花を愛でる会(6月中旬~下旬)を開催。特別公開される。住職手作りの精進料理が食べられる宿坊としても有名。火・金曜には精進料理体験教室が開かれる。
- 「妙心寺駅」から徒歩9分/「龍安寺駅」から徒歩10分
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妙心寺境内の東側に位置。享禄4年(1531)、細川氏綱が父の菩提を弔うために建立。本堂前庭には、十数本の沙羅双樹の木があり、その花が美しい寺として知られる。見ごろとなる季節には、沙羅の花を愛でる会(6月中旬~下旬)を開催。特別公開される。住職手作りの精進料理が食べられる宿坊としても有名。火・金曜には精進料理体験教室が開かれる。
京都人に「あたごさん」の名で親しまれている。老杉に囲まれた愛宕山の山頂にあり、僧泰澄と役小角によって大宝年間(701~704年)に修験道の修行の山として開かれたのが始まりと伝わる。祭神の伊邪那美命[いざなみのみこと]の子、迦倶槌命[かぐつちのみこと]が火の神なので、防火鎮火の神として尊ばれている。7月31日夕刻~8月1日早朝の参詣は、千日詣と呼ばれて1日で千日分の功徳があるといわれる。
平安末期の儒者、清原頼業[よりなり]を祀る。社務所で授かった祈念神石に願い事を祈願し、成就したら祈念神石に御礼の石を添えて奉納する習慣がある。金運向上・良縁成就、受験合格に御利益がある。境内の芸能神社には、芸の上達を祈る現代の芸能人の玉垣が数多く並んでいる。
小倉山の中腹にある名刹で、秋の紅葉の美しさでも知られている。静寂な寺の佇まいが天台四土の一つ常寂光土を思わせるところから、寺名となった。茅葺きの仁王門には運慶作と伝えられる仁王像が立っている。檜皮葺きの多宝塔(重要文化財)は、江戸時代の建築ながら華麗な桃山様式を伝えている。
足利義満が康暦元年(1379)、普明国師を開山に宝幢寺を建立。鹿王院はその塔頭だったが、応仁の乱で宝幢寺は廃絶、鹿王院のみが残った。江戸前期作庭の平庭式枯山水庭園は、苔が美しい。女性専用の宿坊としても開かれており、宿泊者は座禅体験(要事前予約)もできる。
貞治元年(1362)、権争の過中を出て禅の道に入った光厳天皇が庵を結んだのが始まり。仏殿、舎利殿が立つ境内は桜で埋まり、なかでも細い枝を幾重にも垂らす樹齢600年余の九重桜(天然記念物)は、特に美しい枝垂桜。このほか、江戸時代に京都御所左近の桜を株分けしたとされる左近桜、その美しさに感動して後水尾天皇が御車[みくるま]を返したとされる御車返しの桜もある。花の見頃は、4月中旬以降。10人以上の拝観は事前にFAXにて要申込み。
室町時代の創建。妙心寺にあり、如拙[じょせつ]の描いた国宝の『瓢鮎図[ひょうねんず]』を所蔵していることで有名だ。方丈の西庭(史跡・名勝)は狩野元信作と伝え、絵画的な構成の枯山水の名庭。昭和作庭の池泉廻遊式「余香苑」では、滝のせせらぎ・水琴窟・筧の水と3つの水の姿が楽しめる。
奥嵯峨の竹林の中にひっそりと佇む『平家物語』ゆかりの寺。仏御前の出現で平清盛の寵愛を失った白拍子の祇王が、母の刀自[とじ]、妹の祇女[ぎじょ]とともに、尼となってここに移り住んだ。後に仏御前も尼になり、ともに晩年を過ごしたという。多種類の緑の苔に覆われた苔庭が美しく、草庵の仏間には本尊の大日如来像ほか、祇王ら5人の木像を安置。「虹の窓」と呼ばれる控えの間の吉野窓も見逃さないように。境内には、鎌倉時代造立の祇王らを供養する宝篋印塔や清盛の五輪塔もある。
日本でほかにないとされる、髪の神社。境内には、献髪を納めた髪塚もあり、髪の恩恵に感謝する大祭も行われている。
宝徳2年(1450)、徳大寺家の別荘を細川勝元が禅寺に改めたのが始まり。二度の火災で焼失し、現在の方丈は慶長11年(1606)に建てられた西源院の方丈を移築したもの。方丈前庭の枯山水庭園(史跡・特別名勝)は白砂に15の石組を配し、虎の子渡しの庭ともいわれ、石庭といえば龍安寺を指すほど有名だ。境内には秀吉が絶賛した侘助椿の古木や、水戸光圀寄進の「吾唯足知」[われただたるをしる]と刻んだ蹲踞[つくばい]などもある。5月~9月末までは鏡容池[きょうようち]の睡蓮が見事。
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