道祖神社
憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
- 「京都駅」から徒歩9分/「東寺駅」から徒歩14分
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憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
清和天皇の六男を父とする源経基を祀る。清和源氏の祖となる経基は、六男の六と天皇の孫の意で、六孫王と呼ばれ八代後に源頼朝が生まれる。
高さ55mの国宝・五重塔で知られる東寺の正式名は「教王護国寺」。平安遷都の際に創建された官寺を弘仁14年(823)に空海が嵯峨天皇より賜り、真言密教の根本道場とした。土一揆で伽藍のほとんどを焼失したが、室町末期~江戸初期にかけて再建。本堂である国宝の金堂を中心に、国指定重要文化財の南大門と講堂、昭和初期再建の食堂が一直線に並ぶ伽藍配置は創建当時の特徴を残している。境内には、国宝・御影堂(大師堂)、宝蔵、宝物館なども立ち並び、講堂の曼荼羅を立体化した21体の仏像は圧巻。宝物館は春と秋に公開、五重塔の特別公開も要確認。
新撰組の墓所。墓参りのみ入ることができる。光縁寺の山門の瓦に「丸に右離れ三つ葉立葵」の寺紋があり、山南家の家紋と同じであった。また光縁寺の門前近くに新撰組の馬小屋があり、毎日、新撰組の隊士達が往来する中で、当時の住職と新撰組総長山南敬介との出会いがあり、その縁で屯所で切腹した隊士達、三人目には山南自身、その後多くの新撰組関係者(20数名)が良誉上人に弔われ、光縁寺に埋葬されることになった。
織田信長が明智光秀に討たれた寺として知られているが、当時は四条西洞院にあった。天文15年(1587)、現在地に移転。境内には信長の供養塔も立つ。
室町中期、「なべかむり日親[にっしん]」といわれた日親上人が開いた日蓮宗の古刹。上人が将軍足利義教に法華経の教えに基づく政治を求め逆鱗にふれ、灼熱した鍋を頭にかぶせられる拷問にあう。迫害や投獄に耐えた上人に信仰を寄せる者は多く、本阿弥清信(光悦の祖父)もその一人で、その縁で本阿弥家の菩提寺となる。本堂、仁王門、開山堂、多宝塔などは天明8年(1788)の大火で焼失したが、寛政8年(1796)以降、伽藍が整備された。書院前の巴の庭(名勝)は本阿弥光悦の作、また長谷川等伯の佛涅槃図(重要文化財)を所蔵する。
安貞元年(1227)、藤原秀衡の孫である義空上人によって開創され、本尊釈迦如来坐像を安置したことに始まる。正式には大報恩寺というが、創建当初から千本釈迦堂の名で親しまれてきた。応仁の乱で諸堂は焼失したが、残った本堂(国宝)は洛中最古の木造建造物。建造時に夫である棟梁のミスを助けたあと、秘密を守るため自刃した「おかめ伝説」が残り、境内にはおかめ塚やおかめ像がある。霊宝殿には快慶作の十大弟子立像、定慶作の六観音像(重要文化財)、地蔵菩薩像(国宝)などを安置。12月7・8日の大根焚きは京都の冬の風物詩。
全国に約3000社ある祇園社の総本社。「祇園さん」の名で親しまれている。社殿は本殿と拝殿の建物を1つの屋根でおおった祇園造と呼ばれる建築様式で、国宝に指定。夏の祭礼・祇園祭は、貞観11年(869)の疫病流行の際、その災厄除去を祈ったことに由来する。大晦日~元旦の「をけら詣り」も参拝者が多く、をけらの根を混ぜて焚いた浄火を吉兆の縄に移して持ち帰り、新年の神棚の灯明にしたり、雑煮の釜の火種にして、一年の無病息災を祈る。境内の太田社は芸事上達に御利益があるとされ、祇園の芸妓や舞妓もお参りに訪れる。
弘仁2年(811)、日圓上人が紀州熊野大神を勧請したのが始まり。国生みを行った夫婦神伊弉冉命・伊弉諾命とその御子神天照大神を祀る。ご利益は縁結び・安産・病気平癒・健康長寿。熊野牛王宝印・からす守り・なぎ守り・サッカー守り授与。
全国でも珍しい、女人厄除祈祷のある神社として有名。桓武天皇の勅命により藤原冬嗣が創建したといい、その歴史も大変深い。歴代皇后にも篤く信仰される皇后陛下勅願所である。
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