誓願寺
新京極にある飛鳥時代の創建という古刹。もとは奈良にあったが平安遷都で京都へ移り、その後秀吉の区画整理で現在地へ移転した。謡曲『誓願寺』の中で、和泉式部が「歌舞の菩薩」となって現れることから芸道上達祈願のお寺として信仰を集める。また、五十五世住職・安楽庵策伝上人は『醒睡笑[せいすいしょう]』八巻を著したことにより「落語の祖」と称される。門前に「迷子のみちしるべ」と呼ばれる石柱が立つ。
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新京極にある飛鳥時代の創建という古刹。もとは奈良にあったが平安遷都で京都へ移り、その後秀吉の区画整理で現在地へ移転した。謡曲『誓願寺』の中で、和泉式部が「歌舞の菩薩」となって現れることから芸道上達祈願のお寺として信仰を集める。また、五十五世住職・安楽庵策伝上人は『醒睡笑[せいすいしょう]』八巻を著したことにより「落語の祖」と称される。門前に「迷子のみちしるべ」と呼ばれる石柱が立つ。
四条新京極にあり、染殿皇后が本尊の地蔵菩薩に祈ったところ、のちの清和天皇が誕生したという寺伝から、安産守護の信仰を集める。安産御祈祷・安産お守りの授与あり(受付時間:10~18時、無休)。QRコードで動く朱印300円や幸運・安産マスコット親子犬1500円なども。
高さ55mの国宝・五重塔で知られる東寺の正式名は「教王護国寺」。平安遷都の際に創建された官寺を弘仁14年(823)に空海が嵯峨天皇より賜り、真言密教の根本道場とした。土一揆で伽藍のほとんどを焼失したが、室町末期~江戸初期にかけて再建。本堂である国宝の金堂を中心に、国指定重要文化財の南大門と講堂、昭和初期再建の食堂が一直線に並ぶ伽藍配置は創建当時の特徴を残している。境内には、国宝・御影堂(大師堂)、宝蔵、宝物館なども立ち並び、講堂の曼荼羅を立体化した21体の仏像は圧巻。宝物館は春と秋に公開、五重塔の特別公開も要確認。
新京極にあり、藤原道長が和泉式部のために建てた小御堂が始まり。境内北側の墓地に高さ4mの和泉式部供養塔がある。
明治36年(1903)建設、正教会(オーソドックス・チャーチ)の本格的木造大聖堂。ロシア・ビザンティン様式の聖堂は奥行約27m、高さ約22m。東京都千代田区JRお茶の水駅近くの東京復活大聖堂(ニコライ堂)に比する格式をもつ、明治期の代表的教会建築。聖堂前部には瀟洒な鐘楼、聖堂内には、帝政ロシア後期にモスクワで描かれた聖像(イコン)を納める聖障(イコノスタス)はじめ豪壮・華麗なシャンデリア・燭台などが美しい。国指定重要文化財。
三十三間堂の東側にあり、淀殿が文禄3年(1594)に父浅井長政の菩提寺として建立。その後火災に遭い、淀殿の妹で徳川秀忠の夫人である崇源院が元和7年(1621)に伏見城の旧材を使って再建。本堂廊下の上の天井は「血天井」と呼ばれ、伏見城が落城した時、徳川家康の部下だった鳥居元忠らが自刃した際の血痕が付いた床板を使用したものという。俵屋宗達の描いた杉戸絵(重要文化財)・襖絵(重要文化財)や狩野山楽筆の襖絵も見逃せない。
三条通を上った所にある矢田寺は、奈良・矢田寺の元別院。本尊の地蔵菩薩は諸願成就にご利益があるとされる。8月16日の五山の送り火に合わせ、精霊を冥土へ送る「送り鐘」を撞く寺として有名だ。
本堂が六角宝形造であることから六角堂と呼ばれているが、正式名は紫雲山頂法寺。いけばな発祥の地としても有名だ。本堂前には縁結びで有名な地摺り柳があり、その右手には六角形で中央が丸く窪んだ石(直径約42cm)がある。京都のほぼ中心に位置していることから「へそ石」と呼ばれている。
新撰組の墓所。墓参りのみ入ることができる。光縁寺の山門の瓦に「丸に右離れ三つ葉立葵」の寺紋があり、山南家の家紋と同じであった。また光縁寺の門前近くに新撰組の馬小屋があり、毎日、新撰組の隊士達が往来する中で、当時の住職と新撰組総長山南敬介との出会いがあり、その縁で屯所で切腹した隊士達、三人目には山南自身、その後多くの新撰組関係者(20数名)が良誉上人に弔われ、光縁寺に埋葬されることになった。
憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
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