実光院
勝林院で声明を修行する学僧の僧坊として建てられた。客殿の西側と南側には庭園が広がる。西の庭にある不断桜は、秋から春にかけて花を咲かせ続ける珍しいもの。茶花を中心に植えられた、季節の花々を楽しみながら散策したい。
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勝林院で声明を修行する学僧の僧坊として建てられた。客殿の西側と南側には庭園が広がる。西の庭にある不断桜は、秋から春にかけて花を咲かせ続ける珍しいもの。茶花を中心に植えられた、季節の花々を楽しみながら散策したい。
永承6年(1051)に日野資業[すけなり]が建てた薬師堂が始まり。親鸞聖人、日野富子らが生誕した日野家の菩提寺で、通称の日野薬師でも知られる。阿弥陀堂(国宝)は、宇治の平等院鳳凰堂、三千院の往生極楽院と並び平安貴族が夢見た極楽浄土を形にしたものとして貴重。檜皮葺き宝形造の堂内には、平安時代の定朝様式の阿弥陀如来坐像(国宝)が安置され、飛天の壁画(重要文化財)などで装飾されている。本堂薬師堂(重要文化財)の本尊・薬師如来立像(重要文化財)は乳薬師と呼ばれ、安産、授乳の霊像として信仰される。団体拝観は要予約。
鎌倉末期、日尊上人が創建した日蓮本宗本山。1万3500平方mの広大な境内には、清涼池をはじめ、本堂、開山堂、鐘楼、庫裏、書院などの堂宇を数え、堂々たる風格がある。
もとは比叡山西塔にあり東尾坊と呼ばれたが、その後各地を巡り、明暦2年(1656)桂離宮を造営した八条宮智仁[としひと]親王の子である良尚法親王(天台座主)によりこの地に建てられた。数寄屋造の大書院(重要文化財)には主座敷が2間あり、間仕切りの卍くずしの欄間の意匠などに桂離宮の影響がうかがえるところから「小さな桂離宮」ともいわれている。続く小書院(重要文化財)の襖絵は狩野探幽作と伝えられ、黄昏の間には10種類の寄せ木で造られた「曼殊院棚」と呼ばれる違い棚がある。書院前の枯山水庭園(名勝)は、5月のツツジ、11月の紅葉のころが特に美しい。八窓茶室(重要文化財)は小堀遠州好みと伝えられている。
岩倉門跡と呼ばれる名刹。寛喜元年(1229)、紫野に創建されたが、応永18年(1411)に現在地に移転。その後も兵火で伽藍の多くを失ったが、江戸初期に足利義昭の孫・義尊[ぎそん]僧正が天皇家と徳川家の援助で再興。以降、皇子や皇族が相次いで入寺した。襖絵は狩野派の絵師によるもの。板の間にもみじが映り込む「床もみじ」が有名。駐車場は秋期利用不可。
大宝元年(701)、秦氏が創建したと伝える古社。酒の神として信仰を集めていて、境内には全国の酒造元から奉納された、こもかぶりの酒樽が並ぶ。祭神は大山咋神[おおやまぐいのかみ]で、社務所裏の神泉「亀の井」の水を仕込み水に加えると酒が腐らないといわれる。室町前期建造で、天文11年(1542)に大改修した本殿(重要文化財)は、松尾造といわれる三間社両流造。重森三玲氏作庭の松風苑は、磐座をイメージした上古の庭、鎌倉風の蓬莱の庭、平安風の曲水の庭と、趣を変えた3つの庭が見られる。
役行者が開き、最澄が再興したが、仁寿2年(852)に勝持寺と改名したと伝える。西行がここで庵を結び1株の桜を植えて吟愛したことから、この桜を「西行桜」と呼び、以後「花の寺」と親しまれるようになった。春は境内が桜で覆われる。本尊に薬師如来像(重要文化財)を祀り、近年まで預かっていた如意輪観音半跏像(国宝)は、東隣の願徳寺(料金:300円、2月のみ要予約)で拝観できる。
鎌倉時代中期に後堀河天皇の勅願所として建立。御本尊は運慶・湛慶親子合作で全長10mの木像の釈迦如来像(重文)。幾度かの移転の後、江戸時代に後水尾天皇が即位争いに巻き込まれ暗殺されかかったときにこのお釈迦様が身代わりに立たれたことから御寺泉湧寺の塔頭となった。
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