
道祖神社
憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
- 「京都駅」から徒歩9分/「東寺駅」から徒歩14分
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憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
高さ55mの五重塔(国宝)で知られる東寺の正式名は教王護国寺。平安遷都の際に創建された官寺を弘仁14年(823)に空海が嵯峨天皇より賜り、真言密教の根本道場とした。土一揆で伽藍のほとんどを焼失したが、室町末期~江戸初期にかけて再建。南大門(重要文化財)、金堂(国宝)、講堂(重要文化財)、食堂が一直線に並ぶ伽藍配置は創建当時の特徴を残す。講堂には空海の密教思想を表現し、曼荼羅を立体化した21体の仏像が並ぶ。宝物館は3月20日~5月25日と9月20日~11月25日のみ公開。
仁安元年(1166)、この地に別邸を構え西八条御所とした平清盛公が、邸宅内の鎮守社として建立。
応永年間(1394~1427)に行阿上人が開山した古刹。古くから女性の悩みごと、願いごとにご利益がある祈願所として知られてきた。婦人病や女性全般にご利益がある女性の御守などが販売されている。また、人形供養の寺としても知られ、人形を随時受け付けている。
清和天皇の六男を父とする源経基を祀る。清和源氏の祖となる経基は、六男の六と天皇の孫の意で、六孫王と呼ばれ八代後に源頼朝が生まれる。
東寺の北側の櫛笥小路[くしげこうじ]に面してある、東寺の塔頭の中でも最も格式の高い寺院。桃山時代書院造の客殿(国宝)は慶長10年(1605)の再建で、上段の間には宮本武蔵筆と伝えられる水墨画『鷲の図』がある。客殿の東側には本尊・五大虚空蔵菩薩を安置する本堂、客殿北側には茶室・楓泉観も立つ。
新撰組の墓所。墓参りのみ入ることができる。光縁寺の山門の瓦に「丸に右離れ三つ葉立葵」の寺紋があり、山南家の家紋と同じであった。また光縁寺の門前近くに新撰組の馬小屋があり、毎日、新撰組の隊士達が往来する中で、当時の住職と新撰組総長山南敬介との出会いがあり、その縁で屯所で切腹した隊士達、三人目には山南自身、その後多くの新撰組関係者(20数名)が良誉上人に弔われ、光縁寺に埋葬されることになった。
伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
百々御所[どどのごしょ]とも呼ばれた尼門跡寺院。代々内親王が住持となっている。光格天皇から賜った人形や盤双六、投扇、貝覆などの遊戯具を所蔵。人形の寺ともいわれる。春と秋には、皇室から贈られた人形などの寺宝を公開する人形展を開催。境内には人形塚があり、10月14日は人形供養祭が行われる。
学問の神様、菅原道真公をお祀りする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社で、古くより「北野の天神さま」と仰ぎ親しまれている。特に受験シーズンは入試合格・学業成就祈願で訪れる参拝者が後を絶たない。境内は豊臣秀吉公が開催した「北野大茶湯」ゆかりの地。現在の御本殿は慶長12年(1607)豊臣秀頼公により造営され、国宝に指定されている。全国屈指の梅の名所でもあり、2月25日の梅花祭には境内にて上七軒の芸舞妓による「野点茶会」が催され、12月13日からは新春御祝「大福梅」が参拝者に授与(有料)される。毎月25日の天神さんの御縁日には露店が軒を連ね、多くの参拝者で賑わう。
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