南禅寺天授庵
南禅寺の塔頭。広大な敷地内に枯山水庭園と池泉回遊式庭園がある。
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南禅寺の塔頭。広大な敷地内に枯山水庭園と池泉回遊式庭園がある。
顕本法華宗の総本山。康応元年(1389)に日什上人[にちじゅうしょうにん]が六条坊門室町(今の烏丸五条あたり)に開基。長く寺町二条にあったが、昭和43年(1968)に現在地に移転した。境内にはインド・ブタガヤの大塔を模した仏舎利大塔がそびえ、サクラやツツジをはじめ、紅葉など四季折々の彩りが楽しめる。展示室には安珍・清姫の伝承で知られる道成寺の鐘を安置。本坊の「雪の庭」は俳諧の祖、松永貞徳作と伝わる。
貞治元年(1362)、権争の過中を出て禅の道に入った光厳天皇が庵を結んだのが始まり。仏殿、舎利殿が立つ境内は桜で埋まり、なかでも細い枝を幾重にも垂らす樹齢600年余の九重桜(天然記念物)は、特に美しい枝垂桜。このほか、江戸時代に京都御所左近の桜を株分けしたとされる左近桜、その美しさに感動して後水尾天皇が御車[みくるま]を返したとされる御車返しの桜もある。花の見頃は、4月中旬以降。10人以上の拝観は事前にFAXにて要申込み。
創建は文明11年(1479)、明応元年(1492)の2説あり、室町幕府の管領を務めた細川政元が建立した。天正年間(1573~92)に現在地に移転してから宿坊となっている。書院前にある枯山水庭園は、3つの石で三尊仏を表しているため、第2の本堂といわれる。4月下旬のキリシマツツジはみごと。宿坊があり人気を博している。
延暦3年(784)長岡京遷都にあたり、藤原氏出身の皇后が、奈良にある氏神の春日大社まで参拝する不便を除くため創建したことに始まる。平安遷都後の嘉祥3年(850)、文徳天皇により壮麗な社殿が造営された。社殿は春日大社と同じ檜皮葺き、丹塗りの春日造になっている。4棟が並ぶ現在の本殿は慶安年間(1648~52)に後水尾天皇が造営。境内には猿沢池に擬して鯉沢池もある。
山中にある西国第20番札所。堂々とした山門を入ると、山腹に本堂、多宝塔、薬師堂などの諸堂が立ち並ぶ。紅葉や枝垂桜が美しく、樹齢600年を誇る遊龍の松[ゆうりゅうのまつ](天然記念物)は、横に長く見事な幹を伸ばしている。寺は長元2年(1029)恵心僧都の高弟・源算上人の開基。応仁の乱で衰退し、その後、桂昌院により復興した。
鎌倉時代中期に後堀河天皇の勅願所として建立。御本尊は運慶・湛慶親子合作で全長10mの木像の釈迦如来像(重文)。幾度かの移転の後、江戸時代に後水尾天皇が即位争いに巻き込まれ暗殺されかかったときにこのお釈迦様が身代わりに立たれたことから御寺泉湧寺の塔頭となった。
東福寺の塔頭であり筆の寺として知られる。毎年11月23日には、筆塚前で使い古した筆記具を護摩木にくべて感謝する、筆供養が行われる。
泉涌寺総門の左手にある。一千年の祈りを今に伝える阿弥陀如来二十五菩薩お練り供養大法会は、現世に極楽浄土の絵巻物を彷彿とさせる京洛の秋の行事として広く知られている。また本尊の阿弥陀如来と共に国の重要文化財に指定される二十五菩薩坐像は、二十五菩薩が揃っての立体的仏像彫刻としては日本唯一の貴重な文化財。本堂右奥の小さな堂には、源平の戦いで有名な那須与一[なすのよいち]のものとされる墓もある。
東福寺の境内に立つ。「じゅうまん不動」と呼ばれ、火除け信仰がある。五大堂に安置されている本尊の平安時代の不動明王像。
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