
九頭竜大社
慈悲の女神、九頭竜弁財天を祀る。本殿を時計回りに9回まわるお千度や、神様より言葉をもらうおみくじが有名。災厄消除をはじめあらゆるご利益がある。
- 「八瀬比叡山口駅」から徒歩18分
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慈悲の女神、九頭竜弁財天を祀る。本殿を時計回りに9回まわるお千度や、神様より言葉をもらうおみくじが有名。災厄消除をはじめあらゆるご利益がある。
三千院からさらに東、呂川沿いに山道を少し上った地にひっそり佇む。最澄の直弟子の慈覚大師円仁が中国の五台山を模して建立、その後衰微したが天仁2年(1109)に融通念仏宗の祖良忍[りょうにん]上人が再興した。円仁は唐への留学で、独特の節回しで唱えるお経である声明[しょうみょう]を持ち帰ったため、ここが日本での声明の発祥地とされる。本堂には藤原時代の本尊薬師如来像(重要文化財)を中心に、釈迦如来像(重要文化財)、阿弥陀如来像(重要文化財)を安置する。
仁和4年(888)、宇多天皇創建による門跡寺院で御室御所とも呼ばれた。現在は真言宗御室派の総本山。9万平方mもの広大な境内には、優美な金堂(国宝)をはじめ、二王門(重要文化財)や五重塔(重要文化財)などが点在。御所の名残りを留める仁和寺御所庭園、池泉式庭園もあって見どころ豊富だ。背丈の低い御室桜(名勝)は、京都随一の遅咲きとして有名。令和3年(2021)、仁和寺御所庭園は国の名勝指定となった。
新京極通り沿いに位置する薬師堂。ここで祀られているのは薬師如来像。癌封じ、諸願平癒、心身健全、厄難減除、諸願成就、安産子宝などのご利益があるとして、観光客から地元民まで多くの人から愛されている。いぼをさすると取れるといわれる御薬石を授かることができる祈祷(志納料5000円~)があることでも有名だ。
幕末動乱の日々、孝明天皇は崇徳[すとく]天皇の御神威を仰がれようとしたがまもなく崩御。明治天皇は維新の礎を固めるために、父帝・孝明天皇の御意思を継がれて明治元年(1868)に御創建し、続いて淳仁天皇を合祀した神社。この地は蹴鞠[けまり]の宗家飛鳥井[あすかい]家の邸宅跡で、精大明神(蹴鞠の神)が祀られており、サッカーをはじめ、スポーツ関係者の参詣も多い。7月7日の精大明神祭(七夕祭)には「小町をどり」と「蹴鞠」が奉納される。
京都・東山三十六峰の一つ、華頂山の麓に広がる浄土宗の総本山。法然上人が承安5年(1175)ここに居を構え、「南無阿弥陀仏」と称えるとすべての人が救われるという念仏の教えを説き、生涯を閉じた念仏の聖地だ。7万3000坪の広大な境内には、法然上人の御廟や2000人が一度に参拝できる御影堂、日本最大級の三門など国宝や重要文化財の多くの伽藍が建ち並ぶ。
弘仁2年(811)、日圓上人が紀州熊野大神を勧請したのが始まり。国生みを行った夫婦神伊弉冉命・伊弉諾命とその御子神天照大神を祀る。ご利益は縁結び・安産・病気平癒・健康長寿。熊野牛王宝印・からす守り・なぎ守り・サッカー守り授与。
疫病鎮めの神様として知られる。平安遷都後に疫病が流行したため、朝廷は神輿を船岡山に安置して疫神鎮静を図り、長保3年(1001)にはこの地に神殿を造営し新しい社との意味で今宮と号した。現社殿は明治時代の再建。毎年4月第2日曜には、疫神社の疫神を鎮める「やすらい祭」が営まれる。鬼を従えた行列が「やすらい花や」と囃しながら踊る。行列の中心は季節の花で飾られた風流傘、この傘の下に入れば1年間病気をしないといわれる。
京の夏の風物詩・五山の送り火のうち「法」の字が描き出される東山の麓にあり、都七福神の一つである大黒天を祭る。開運招福や家内安全などを願う庶民の信仰が篤く、60日に一度の甲子祭、毎月1・15日の月例祭は賑わう。
賀茂川の水源の山中にひっそりと立つ修験の道場。不動明王を祭ることから岩屋不動とも呼ばれるが、正式には「岩屋山志明院[いわやさんしみょういん]」という。修験道の開祖・役行者が開山、勅願所として空海が創建したと伝わる。巨木が天を覆う山内には、飛竜ノ滝や護摩洞窟など多くの行場があり、歌舞伎十八番「鳴神」の地として、また天然記念物のしゃくなげ林など有名。
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