
華巌寺(鈴虫寺)
享保8年(1723)鳳潭上人が華厳宗再興を願って創建。飼育された鈴虫が一年中鳴くことから、別名鈴虫寺と呼ばれる。山門横に立つ草鞋を履いた幸福地蔵は、一つだけ願いを叶えてくれるという。僧侶による法話もある。
- 「松尾大社駅」から徒歩14分/「上桂駅」から徒歩18分
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享保8年(1723)鳳潭上人が華厳宗再興を願って創建。飼育された鈴虫が一年中鳴くことから、別名鈴虫寺と呼ばれる。山門横に立つ草鞋を履いた幸福地蔵は、一つだけ願いを叶えてくれるという。僧侶による法話もある。
法輪寺の境内に、一山の鎮守社として奉祀されている。毎年5月23日には電気関係者を中心とし、電電宮大祭が行われる。
山中にある西国第20番札所。堂々とした山門を入ると、山腹に本堂、多宝塔、薬師堂などの諸堂が立ち並ぶ。紅葉や枝垂桜が美しく、樹齢600年を誇る遊龍の松[ゆうりゅうのまつ](天然記念物)は、横に長く見事な幹を伸ばしている。寺は長元2年(1029)恵心僧都の高弟・源算上人の開基。応仁の乱で衰退し、その後、桂昌院により復興した。
貞治6年(1367)に室町幕府管領の細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の寺院。勧請開山は夢窓国師、本尊は地蔵菩薩である。一休禅師が幼少時を過ごした寺でもある。境内が広く竹林で覆われていることから竹の寺とも称される。本堂北の方丈には平庭式枯山水庭園があり、羅漢に見立てられた16個の自然石が配されている。竹林以外は、境内一円鮮やかな苔に覆われている。楓が多いため、春は新緑、秋は紅葉が美しい。折々に、侘助椿や山茶花が彩りを添える。細川護熙元総理揮毫による書または画、何れかの襖を公開している。
延暦3年(784)長岡京遷都にあたり、藤原氏出身の皇后が、奈良にある氏神の春日大社まで参拝する不便を除くため創建したことに始まる。平安遷都後の嘉祥3年(850)、文徳天皇により壮麗な社殿が造営された。社殿は春日大社と同じ檜皮葺き、丹塗りの春日造になっている。4棟が並ぶ現在の本殿は慶安年間(1648~52)に後水尾天皇が造営。境内には猿沢池に擬して鯉沢池もある。
役行者が開き、最澄が再興したが、仁寿2年(852)に勝持寺と改名したと伝える。西行がここで庵を結び1株の桜を植えて吟愛したことから、この桜を「西行桜」と呼び、以後「花の寺」と親しまれるようになった。春は境内が桜で覆われる。本尊に薬師如来像(重要文化財)を祀り、近年まで預かっていた如意輪観音半跏像(国宝)は、東隣の願徳寺(料金:300円、2月のみ要予約)で拝観できる。
大宝元年(701)、秦氏が創建したと伝える古社。酒の神として信仰を集めていて、境内には全国の酒造元から奉納された、こもかぶりの酒樽が並ぶ。祭神は大山咋神[おおやまぐいのかみ]で、社務所裏の神泉「亀の井」の水を仕込み水に加えると酒が腐らないといわれる。室町前期建造で、天文11年(1542)に大改修した本殿(重要文化財)は、松尾造といわれる三間社両流造。重森三玲氏作庭の松風苑は、磐座をイメージした上古の庭、鎌倉風の蓬莱の庭、平安風の曲水の庭と、趣を変えた3つの庭が見られる。
渡月橋を見下ろす高台に建ち、「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれてきた。『枕草子』の「寺は」では「壺坂、笠置、法輪」と並び称せられ、院政期には多くの人々の信仰を集めて隆盛を誇った寺。現在は十三まいりで親しまれ、毎年4月13日、13歳になった子供が法輪寺の虚空蔵菩薩に智恵と福徳を授かりに行く。思い思いの1字を墨で書いて奉納した後、渡月橋を渡って帰る時に、後ろを振り返るとせっかく授かった智恵を返してしまうとの言い伝えがある。
『伊勢物語』で知られる在原業平が晩年隠棲したと伝えられ、境内にはその墓宝篋印塔が立つ。恋焦がれた二条后・藤原高子[たかいこ]が大原野神社に参拝した時、業平は塩を焼いて紫の煙を上げて、思いを伝えたという。その竈跡も残っており、毎年5月28日業平忌三弦法要、6月第3日曜聲明[しょうみょう]と三弦の会、11月23日の塩がまきよめ祭では塩竈で火を焚き、参拝者を祈願する。本堂の屋根は、鳳輦[ほうれん]型というみこしに似た珍しい造りだ。春はなりひら桜、秋は全山の紅葉が美しい。
松尾大社の境外摂社で、創建は顕宗天皇3年(487)と伝えられる京都有数の古社。本殿横にある月延石は、安産の御神徳があるとして信仰を集め、安産祈願に訪れる参拝者が多い。
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