
熊野若王子神社
熊野神社、新熊野神社とともに京都三熊野に数えられる。境内には樹齢400年以上のナギの木が立つ。平成29年(2017)9月に倒木の恐れがあったため、2m50cmを残して伐採。
- 「蹴上駅」から徒歩17分
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熊野神社、新熊野神社とともに京都三熊野に数えられる。境内には樹齢400年以上のナギの木が立つ。平成29年(2017)9月に倒木の恐れがあったため、2m50cmを残して伐採。
永観堂の名で親しまれ、紅葉の名所としても知られる。平安時代初期、弘法大師の弟子真紹[しんじょう]僧都により創建されたが、後に永観律師が念仏修行の場として、民衆を救った功績から永観堂と呼ばれるようになった。本尊の阿弥陀如来立像(重要文化財)は左後方を振り返る姿で、「みかえり阿弥陀」とも呼ばれる。
徳川家康の元家臣で、江戸初期の文人・石川丈山[いしかわじょうざん]が寛永18年(1641)に建てた山荘。現在は禅宗の寺院だ。小楼・嘯月楼[しょうげつろう]を見上げながら建物の中に入ると、堂の名前の由来となった詩仙の間がある。四方の壁には狩野探幽が描いた中国の詩家36人の肖像画「中国三十六詩仙像」が掲げられている。丈山はまた作庭の名手だったともいわれ、白砂が敷かれた見事な唐様庭園から彼の風雅が偲ばれる。庭には丈山が考案者であるという鹿脅[ししおど]し(添水)[そうず]も配され、サツキ、アジサイ、紅葉と四季折々に美しい。
奈良末期に鑑真和上の高弟・鑑禎上人が毘沙門天を祀ったのが始まり。牛若丸や天狗伝説でも知られる。山門から本殿までは、清少納言が『枕草子』で「近くて遠きもの」と記した九十九折の道が約1km続くが、多宝塔まではケーブルカー(片道200円)も利用可。途中には由岐神社や義経供養塔がある。本殿前庭からの眺望が美しく、桜や紅葉のシーズンは絶景。近くに金星から降臨したという護法魔王尊を祀る光明心殿、毘沙門天や経塚遺物(いずれも国宝)のほか、与謝野鉄幹・晶子夫妻の遺品などを展示する霊宝殿がある。6月20日の竹伐り会式は有名。
宝徳2年(1450)、徳大寺家の別荘を細川勝元が禅寺に改めたのが始まり。二度の火災で焼失し、現在の方丈は慶長11年(1606)に建てられた西源院の方丈を移築したもの。方丈前庭の枯山水庭園(史跡・特別名勝)は白砂に15の石組を配し、虎の子渡しの庭ともいわれ、石庭といえば龍安寺を指すほど有名だ。境内には秀吉が絶賛した侘助椿の古木や、水戸光圀寄進の「吾唯足知」[われただたるをしる]と刻んだ蹲踞[つくばい]などもある。5月~9月末までは鏡容池[きょうようち]の睡蓮が見事。
慶長3年(1598)に62年の生涯を閉じた豊臣秀吉を祀る。のちに徳川家康によって廃社とされたが、明治13年(1880)に再建された。桃山建築を代表する唐門(国宝)や、名工辻与二郎作の鉄灯籠は有名。宝物館には狩野内膳筆の『豊国祭礼図屏風』(重要文化財)などが展示されている。
律宗・壬生寺[りっしゅう みぶでら]は正暦2年(991)に創建された。本尊は延命地蔵菩薩(重文)であり、厄除・開運のご利益が授けられる。700年余の伝統を持つ壬生狂言は、毎年盛大に行われており、庶民大衆の寺として今日に至る。境内にある壬生塚[みぶづか]には、局長・近藤 勇の胸像や、隊士が葬られており、新選組隊士にまつわる逸話も残っている。
室町時代に日真上人[にっしんしょうにん]が開いた法華宗真門流の本山。広い境内に本堂、祖師堂、方丈、鐘楼などの伽藍と、8つの塔頭がある。西陣が一夜にして灰燼に帰した西陣焼けや天明の大火にも本堂が焼け残ったので、不焼寺[やけずのてら]という異名もある。本堂には鬼子母神が祭られていて、安産祈願に訪れる人が多い。葉を枕の下に敷くと子供の夜泣きが止むという「夜泣止めの松」も有名。寺のある紋屋町には、西陣らしい雰囲気が残っている。
知恩院の大鐘で、方広寺、東大寺とともに三大梵鐘として知られている。重さは約70トンもあり、僧侶が17人掛かりで撞くという。大晦日や4月の御忌大会に撞かれる。
2カ所ある展望台からは京都市街を一望できる。桓武天皇平安京造営時に都の安泰を念じて将軍の像を埋めた大きな将軍塚があり、庭園は桜や桃が咲き乱れ、秋は紅葉が真紅に染まる。
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