等持院
暦応4年(1341)、足利尊氏建立による足利家の菩提寺。初代尊氏から15代義昭まで歴代将軍の木像(5、14代を除く)を安置する霊光殿がある。夢窓疎石の作と伝えられる庭園は、東の心字池と西の芙蓉池の2つによって構成されている。特に書院から眺める西庭は石組がダイナミックで、池に架かる石橋など凝った造りになっている。
- 「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」から徒歩7分/「龍安寺駅」から徒歩8分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
暦応4年(1341)、足利尊氏建立による足利家の菩提寺。初代尊氏から15代義昭まで歴代将軍の木像(5、14代を除く)を安置する霊光殿がある。夢窓疎石の作と伝えられる庭園は、東の心字池と西の芙蓉池の2つによって構成されている。特に書院から眺める西庭は石組がダイナミックで、池に架かる石橋など凝った造りになっている。
通称「だるま寺」と呼ばれている京都のお寺。ダルマは、日本では古くから縁起物として親しまれており、ここ法輪寺では諸願成就や厄除けを願って、全国から持ち込まれたダルマが奉納されている。大小さまざまな表情豊かなダルマは見ているだけでもおもしろい。みやげにぴったりのダルマのお守りや土鈴もある。
享保8年(1723)鳳潭上人が華厳宗再興を願って創建。飼育された鈴虫が一年中鳴くことから、別名鈴虫寺と呼ばれる。山門横に立つ草鞋を履いた幸福地蔵は、一つだけ願いを叶えてくれるという。僧侶による法話もある。
渡月橋を見下ろす高台に建ち、「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれてきた。『枕草子』の「寺は」では「壺坂、笠置、法輪」と並び称せられ、院政期には多くの人々の信仰を集めて隆盛を誇った寺。現在は十三まいりで親しまれ、毎年4月13日、13歳になった子供が法輪寺の虚空蔵菩薩に智恵と福徳を授かりに行く。思い思いの1字を墨で書いて奉納した後、渡月橋を渡って帰る時に、後ろを振り返るとせっかく授かった智恵を返してしまうとの言い伝えがある。
東福寺の塔頭であり筆の寺として知られる。毎年11月23日には、筆塚前で使い古した筆記具を護摩木にくべて感謝する、筆供養が行われる。
東福寺塔頭のひとつで、明徳元年(1390)創建。重森三玲が復元した九山八海の庭の中央には、熊本藩細川家から贈られた遺愛石がある。この石は寺領五百石を辞退した代わりに拝領したものという。もう一つの臥雲[がうん]の庭も美しい。また、日露戦争中、ロシア人捕虜を収容し、彼らが木や竹で作った楽器なども陳列している。12歳以下の拝観は不可なので注意。
醍醐天皇が母胤子の供養のため昌泰3年(900)に創建。天皇家や藤原家の帰依を受け門跡寺院として発展した。江戸時代初期の書院(重要文化財)は落ち着いた佇まいを見せる。前庭には水戸光圀が寄進したという、背が低く大きな笠を乗せた「勧修寺型」の灯籠があり、針状の葉をもつ推定樹齢750年のハイビャクシンが広がる。スイレンに彩られる氷室池を中心とする池泉舟遊式の広大な庭は、平安の昔を偲ばせる優雅さで迎えてくれる。平安時代には、この池に張る氷の厚さでその年の農作物の豊凶が占われたと伝わる。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。表門と本堂(方丈)は、ともに国の重要文化財に指定されており、大徳寺最古の建築。四方を趣の異なる4つの庭に囲まれている。方丈の北に枯山水の龍吟庭[りゅうぎんてい]、南に苔が美しい一枝坦[いっしだん]の庭、東に東滴壺[とうてきこ]と呼ぶ坪庭がある。
貞治元年(1362)、権争の過中を出て禅の道に入った光厳天皇が庵を結んだのが始まり。仏殿、舎利殿が立つ境内は桜で埋まり、なかでも細い枝を幾重にも垂らす樹齢600年余の九重桜(天然記念物)は、特に美しい枝垂桜。このほか、江戸時代に京都御所左近の桜を株分けしたとされる左近桜、その美しさに感動して後水尾天皇が御車[みくるま]を返したとされる御車返しの桜もある。花の見頃は、4月中旬以降。10人以上の拝観は事前にFAXにて要申込み。
延暦3年(784)長岡京遷都にあたり、藤原氏出身の皇后が、奈良にある氏神の春日大社まで参拝する不便を除くため創建したことに始まる。平安遷都後の嘉祥3年(850)、文徳天皇により壮麗な社殿が造営された。社殿は春日大社と同じ檜皮葺き、丹塗りの春日造になっている。4棟が並ぶ現在の本殿は慶安年間(1648~52)に後水尾天皇が造営。境内には猿沢池に擬して鯉沢池もある。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。