壬生寺
律宗・壬生寺[りっしゅう みぶでら]は正暦2年(991)に創建された。本尊は延命地蔵菩薩(重文)であり、厄除・開運のご利益が授けられる。700年余の伝統を持つ壬生狂言は、毎年盛大に行われており、庶民大衆の寺として今日に至る。境内にある壬生塚[みぶづか]には、局長・近藤 勇の胸像や、隊士が葬られており、新選組隊士にまつわる逸話も残っている。
- 「四条大宮駅」から徒歩9分/「大宮(京都)駅」から徒歩10分
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律宗・壬生寺[りっしゅう みぶでら]は正暦2年(991)に創建された。本尊は延命地蔵菩薩(重文)であり、厄除・開運のご利益が授けられる。700年余の伝統を持つ壬生狂言は、毎年盛大に行われており、庶民大衆の寺として今日に至る。境内にある壬生塚[みぶづか]には、局長・近藤 勇の胸像や、隊士が葬られており、新選組隊士にまつわる逸話も残っている。
明治18年(1885)創建。明治維新に功績のあった、三條実万[さねつむ]・実美[さねとみ]親子が祭神。萩の名所としても名高く、参道や境内に萩が咲き乱れる9月中~下旬には萩まつりが催される。境内には上田秋成と湯川秀樹の歌碑、有名な京都三名水の一つ「染井」もある。
伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
新京極にある飛鳥時代の創建という古刹。もとは奈良にあったが平安遷都で京都へ移り、その後秀吉の区画整理で現在地へ移転した。謡曲『誓願寺』の中で、和泉式部が「歌舞の菩薩」となって現れることから芸道上達祈願のお寺として信仰を集める。また、五十五世住職・安楽庵策伝上人は『醒睡笑[せいすいしょう]』八巻を著したことにより「落語の祖」と称される。門前に「迷子のみちしるべ」と呼ばれる石柱が立つ。
天慶元年(938)に元三[がんさん]大師によって船岡山に創建されたが、元亀2年(1571)に織田信長の焼き討ちを免れて現在地に移った。代々皇室の帰依が厚く、本堂は光格天皇の勅命により仙洞御所の一部を移築されたもの。紫式部の邸宅跡としても知られ、「源氏庭」には紫色のキキョウが咲く。節分の日に、3匹の鬼が剣や斧、槌をもって踊り、追儺使[ついなし]が紅白の豆を投げて鬼を追い払う、「鬼の法楽」[おにのほうらく]が有名。
新京極にあり、藤原道長が和泉式部のために建てた小御堂が始まり。境内北側の墓地に高さ4mの和泉式部供養塔がある。
新京極通り沿いに位置する薬師堂。ここで祀られているのは薬師如来像。癌封じ、諸願平癒、心身健全、厄難減除、諸願成就、安産子宝などのご利益があるとして、観光客から地元民まで多くの人から愛されている。いぼをさすると取れるといわれる御薬石を授かることができる祈祷(志納料5000円~)があることでも有名だ。
二条城近くにある神社で、豊臣秀吉が、信仰していた稲荷大神を祀ったのが始まり。秀吉の劇的な出世ぶりから、後に後陽成天皇が命名したそう。平成24年(2012)に上京区から移転。
京都で最も賑やかな錦市場のほど近くにある天満宮。ご祭神は菅原道真公で、学問の祈願はもちろん、市場に近いことから商売繁昌にもご利益があると伝わる。錦の天神さんとよばれ、親しまれている。
三条通を上った所にある矢田寺は、奈良・矢田寺の元別院。本尊の地蔵菩薩は諸願成就にご利益があるとされる。8月16日の五山の送り火に合わせ、精霊を冥土へ送る「送り鐘」を撞く寺として有名だ。
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