
妙蓮寺
永仁2年(1294)に創建された本門法華宗の大本山。天明の大火で焼け残った鐘楼は数少ない本格的袴腰型鐘楼で、江戸時代を代表する建造物だ。「十六羅漢の庭」と呼ばれる石庭もある。松尾一切経や長谷川等伯一派の襖絵の見学は要予約。本阿弥光悦の書などの寺宝は特別展(不定期)にのみ展示している。
- 「鞍馬口駅」から徒歩16分/「今出川駅」から徒歩17分
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永仁2年(1294)に創建された本門法華宗の大本山。天明の大火で焼け残った鐘楼は数少ない本格的袴腰型鐘楼で、江戸時代を代表する建造物だ。「十六羅漢の庭」と呼ばれる石庭もある。松尾一切経や長谷川等伯一派の襖絵の見学は要予約。本阿弥光悦の書などの寺宝は特別展(不定期)にのみ展示している。
貞観11年(869)に、縁結びの神を祀ったのがはじまりとされる。2月の節分祭では、懸想文売りが、昔のラブレターである懸想文を参拝者に授与する(1000円)。
ご速素盞鳴尊[すさのをのみこと]が八柱もの御子神をもうけられたこと、子宝・安産の象徴であるうさぎがかつて都の卯の方位にある鎮座地一帯に生息していたことから、うさぎを神使いとして崇めており、子授け安産の神様として厚く信仰されている。境内には子授け黒うさぎや縁結びの狛うさぎなどたくさんのうさぎが据えられている。岡崎神社の「さき」の字は、正式には山+竒。
開祖は臨済宗大徳寺の徹翁国師。元禄7年(1694)に卍山禅師が住持し、曹洞宗に改宗。本堂には「血天井」と呼ばれる伏見城の戦いを今に伝える伏見桃山城の遺構や、「悟りの窓」「迷いの窓」があり、北山を借景にした庭園を望むことができる。本堂内に霊芝観世音菩薩を祀る。紅葉時期は駐車場利用禁止。駐車場に関しては要問合せ。
神亀3年(726)に行基が創建。北野大茶会のとき宿となったこの寺に、豊臣秀吉が寄進したという五色八重散椿で知られる。花びらがひとひらずつ散る姿から、散り椿の名があり、現在は樹齢約120年の第二世が本堂前庭で赤、白、ピンクなど五色の花をつける。見ごろは3月下旬~4月初旬。洛陽三十三観音霊場、第三十番札所。
暦応4年(1341)、足利尊氏建立による足利家の菩提寺。初代尊氏から15代義昭まで歴代将軍の木像(5、14代を除く)を安置する霊光殿がある。夢窓疎石の作と伝えられる庭園は、東の心字池と西の芙蓉池の2つによって構成されている。特に書院から眺める西庭は石組がダイナミックで、池に架かる石橋など凝った造りになっている。
室町時代の創建。妙心寺にあり、如拙[じょせつ]の描いた国宝の『瓢鮎図[ひょうねんず]』を所蔵していることで有名だ。方丈の西庭(史跡・名勝)は狩野元信作と伝え、絵画的な構成の枯山水の名庭。昭和作庭の池泉廻遊式「余香苑」では、滝のせせらぎ・水琴窟・筧の水と3つの水の姿が楽しめる。
土用丑の日の「きゅうり封じ」で知られる寺。境内には五智[ごち]如来石仏(薬師・宝生・大日・阿弥陀・釈迦)をはじめ、背後に観音坐像以下11体の石仏群が並び、圧巻だ。
京都で最も賑やかな錦市場のほど近くにある天満宮。ご祭神は菅原道真公で、学問の祈願はもちろん、市場に近いことから商売繁昌にもご利益があると伝わる。錦の天神さんとよばれ、親しまれている。
鞍馬山で修行した牛若丸(源義経)が、奥州平泉へ旅立つにあたり道中の安全を祈願したという伝説が残る。金売吉次の屋敷の神社ともいい、もとは内野八幡宮という名であったが、このとき以来首途八幡宮と呼ばれるようになったという。首途とは出発という意味。出発を祝う神社として旅行安全のお守りを授与している。まゆを俵型に重ねた繭守は、嫁に行くときタンスの中に入れておくと衣装持ちになれるのだそうだ。
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