
東天王 岡崎神社
ご速素盞鳴尊[すさのをのみこと]が八柱もの御子神をもうけられたこと、子宝・安産の象徴であるうさぎがかつて都の卯の方位にある鎮座地一帯に生息していたことから、うさぎを神使いとして崇めており、子授け安産の神様として厚く信仰されている。境内には子授け黒うさぎや縁結びの狛うさぎなどたくさんのうさぎが据えられている。岡崎神社の「さき」の字は、正式には山+竒。
- 「蹴上駅」から徒歩18分/「東山(京都)駅」から徒歩21分
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ご速素盞鳴尊[すさのをのみこと]が八柱もの御子神をもうけられたこと、子宝・安産の象徴であるうさぎがかつて都の卯の方位にある鎮座地一帯に生息していたことから、うさぎを神使いとして崇めており、子授け安産の神様として厚く信仰されている。境内には子授け黒うさぎや縁結びの狛うさぎなどたくさんのうさぎが据えられている。岡崎神社の「さき」の字は、正式には山+竒。
永仁2年(1294)、素戔嗚尊[すさのおのみこと]・稲田姫命[いなだひめのみこと]の夫婦神をご祭神とし創建。境内地にある一乗寺下り松の下で、慶長9年(1604)に宮本武蔵が吉岡一門と決闘したと伝えられている。
京の夏の風物詩・五山の送り火のうち「法」の字が描き出される東山の麓にあり、都七福神の一つである大黒天を祭る。開運招福や家内安全などを願う庶民の信仰が篤く、60日に一度の甲子祭、毎月1・15日の月例祭は賑わう。
安産や子授けのご利益で有名なため、妊産婦の参拝者が多い。安産御守の本体である稲藁に節があれば男児を、なければ女児を授かるという珍しい信仰が人気を集めている。また、境内の六勝[ろくしょう]神社は「六つかしいことに勝つ」とも読めることから、必勝、成功、開運、合格祈願の神様として崇敬される。
平安初期の右大臣清原夏野[きよはらなつの]の山荘を、大治5年(1130)、鳥羽上皇の中宮待賢門院[たいけんもんいん]が復興。その後、応仁の乱などで荒廃したが、元和3年(1617)泉涌寺の照珍によって再建された。仏像・絵画・工芸に見るべきものが多い。特に、国宝の藤原時代の本尊阿弥陀如来坐像は、光背や台座の蓮弁に華麗で繊細な彫刻が施されており見事。夏には約90種類のハスが咲き競う、ハスの寺としても有名で、国の特別名勝である日本最古の人工の滝「青女滝」の石組みも必見。
その昔、淳和天皇の皇女 崇子[たかこ]内親王の病気を治したという霊石・疱瘡石(1日、11日、15日特別公開)があり、そのため病気平癒、災難厄除、健康長寿の守護の神と崇められている。また境内には摂社西院還来神社があり、淳和院が火災となった折、皇后正子内親王のお言葉により女官、側近に至るまで無事に戻ってこられたことを称えて皇后を後世「還来の大神」としてお祀りされた。現在では「旅行安全」の神として崇められている。
化野と呼ばれるこの一帯は、かつて亡骸を葬る風葬の地だった。寺の起こりは、弘法大師がこの地に葬られた死者の菩提を弔うために寺を建てたことによる。のちに法然上人が念仏道場に改め、念仏寺と称した。境内には無縁仏となった約8000体もの石仏や石塔が並ぶ。
開基は和気清麻呂。のちに唐から帰朝した空海も住持を務めた。その後荒廃したが、平安末期に文覚上人[もんがくしょうにん]が後白河法皇、源頼朝の寄進を受け復興させた。仏教美術の宝庫として知られ、金堂の本尊薬師如来立像(国宝)は、唇と眼だけに彩色を施した、厳しい表情の榧の一木造で、貞観時代の密教彫刻の傑作。多宝塔の本尊五大虚空蔵菩薩坐像(国宝)は、胡粉で全身彩色され女性的な優しさを漂わせる。地蔵院前庭からは眼下の錦雲渓に向け、かわらけ投げを楽しめる。
泉涌寺総門の左手にある。一千年の祈りを今に伝える阿弥陀如来二十五菩薩お練り供養大法会は、現世に極楽浄土の絵巻物を彷彿とさせる京洛の秋の行事として広く知られている。また本尊の阿弥陀如来と共に国の重要文化財に指定される二十五菩薩坐像は、二十五菩薩が揃っての立体的仏像彫刻としては日本唯一の貴重な文化財。本堂右奥の小さな堂には、源平の戦いで有名な那須与一[なすのよいち]のものとされる墓もある。
嘉祥3年(850)に文徳天皇によって創建されたが応仁の乱後荒廃した。しかし、寛文2年(1662)に再興。1本の釘も使っていない総欅造りの本堂に秘仏の歓喜天(聖天)と毘沙門天、弁財天という3体の福神を祭るため、地元の信仰を集めている。
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