来迎院
三千院からさらに東、呂川沿いに山道を少し上った地にひっそり佇む。最澄の直弟子の慈覚大師円仁が中国の五台山を模して建立、その後衰微したが天仁2年(1109)に融通念仏宗の祖良忍[りょうにん]上人が再興した。円仁は唐への留学で、独特の節回しで唱えるお経である声明[しょうみょう]を持ち帰ったため、ここが日本での声明の発祥地とされる。本堂には藤原時代の本尊薬師如来像(重要文化財)を中心に、釈迦如来像(重要文化財)、阿弥陀如来像(重要文化財)を安置する。
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三千院からさらに東、呂川沿いに山道を少し上った地にひっそり佇む。最澄の直弟子の慈覚大師円仁が中国の五台山を模して建立、その後衰微したが天仁2年(1109)に融通念仏宗の祖良忍[りょうにん]上人が再興した。円仁は唐への留学で、独特の節回しで唱えるお経である声明[しょうみょう]を持ち帰ったため、ここが日本での声明の発祥地とされる。本堂には藤原時代の本尊薬師如来像(重要文化財)を中心に、釈迦如来像(重要文化財)、阿弥陀如来像(重要文化財)を安置する。
花園法皇の離宮に関山慧玄[かんざんえげん]を迎え、禅刹として改めた。臨済宗妙心寺派の大本山で、建武4年(1337)創建。三門(重要文化財)や仏殿(重要文化財)、法堂[はっとう](重要文化財)など七堂伽藍をはじめ、46もの塔頭[たっちゅう]が立ち並ぶ。みどころは法堂の天井画『雲龍図』(八方にらみの龍)で、狩野探幽の作。日本最古の銘をもつ黄鍾調[おうじきちょう]の梵鐘(国宝)も必見。
化野と呼ばれるこの一帯は、かつて亡骸を葬る風葬の地だった。寺の起こりは、弘法大師がこの地に葬られた死者の菩提を弔うために寺を建てたことによる。のちに法然上人が念仏道場に改め、念仏寺と称した。境内には無縁仏となった約8000体もの石仏や石塔が並ぶ。
伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が、潔斎のためにこもった所。クヌギの丸太を組んだ黒木の鳥居や小柴垣の簡素な佇まいの小さな社で、『源氏物語』の「賢木」の巻、謡曲『野宮』などに描かれた当時の様子を彷彿とさせる。今では縁結び、進学の神社として知られるようになった。
『伊勢物語』で知られる在原業平が晩年隠棲したと伝えられ、境内にはその墓宝篋印塔が立つ。恋焦がれた二条后・藤原高子[たかいこ]が大原野神社に参拝した時、業平は塩を焼いて紫の煙を上げて、思いを伝えたという。その竈跡も残っており、毎年5月28日業平忌三弦法要、6月第3日曜聲明[しょうみょう]と三弦の会、11月23日の塩がまきよめ祭では塩竈で火を焚き、参拝者を祈願する。本堂の屋根は、鳳輦[ほうれん]型というみこしに似た珍しい造りだ。春はなりひら桜、秋は全山の紅葉が美しい。
早咲きで知られる糸桜は、たおやかな枝ぶりのシダレザクラ。島の弁天さんと親しまれる寺。紅色の唐風山門、京都市内、南のはしにあたり、京都で一番早く桜が咲くので有名。3月24日頃~4月20日頃までいろんな桜が咲いている。
嘉祥3年(850)に文徳天皇によって創建されたが応仁の乱後荒廃した。しかし、寛文2年(1662)に再興。1本の釘も使っていない総欅造りの本堂に秘仏の歓喜天(聖天)と毘沙門天、弁財天という3体の福神を祭るため、地元の信仰を集めている。
平安遷都以前から祀られている古社。勝運のご利益があるといわれる。5月5日の藤森祭に行われる駈馬[かけうま]神事は、勇壮で多くの参拝者が訪れる。近年は馬の社としても有名で、騎手をはじめ、競馬関係者や競馬ファンの参拝も多い。
全国で約3万社を超える稲荷神社の総本宮。商売繁昌、五穀豊穣の神として有名。二の鳥居をくぐると、天正17年(1589)に豊臣秀吉が寄進した朱塗りの楼門(重要文化財)がある。本殿(重要文化財)は、明応8年(1499)再興し檜皮葺き。本殿背後にある鳥居のトンネルをくぐれば奥社奉拝所。稲荷山への登り口である。高さ233mの山には、至る所にお塚があり、それを巡拝する「お山めぐり」は約4km、2時間ほどかかる。
熊野神社、新熊野神社とともに京都三熊野に数えられる。境内には樹齢400年以上のナギの木が立つ。平成29年(2017)9月に倒木の恐れがあったため、2m50cmを残して伐採。
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