
漢国神社
推古元年(593)創建といわれ、藤原氏に崇敬された。檜皮葺きの本殿は三間社流造[さんげんしゃながれづくり]。社宝に徳川家康奉納といわれる鎧があるが、奈良国立博物館に寄託中。境内の林[りん]神社は、室町時代に中国から渡来し饅頭の製法を伝えた林浄因[りんじょういん]を祭神とする。
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推古元年(593)創建といわれ、藤原氏に崇敬された。檜皮葺きの本殿は三間社流造[さんげんしゃながれづくり]。社宝に徳川家康奉納といわれる鎧があるが、奈良国立博物館に寄託中。境内の林[りん]神社は、室町時代に中国から渡来し饅頭の製法を伝えた林浄因[りんじょういん]を祭神とする。
當麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの寺で、藤原豊成・中将姫父子の墓がある。観音堂の子安観音像は乳児を抱き上げた珍しい姿をしており、我が国最古の子安観音といわれる。
當麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの尼寺。中将姫の父、藤原豊成の邸跡に立ち、中将姫が生まれた所と伝わる。境内には産湯の井戸がある。見学は要事前問合せ。
鑑真[がんじん]和上の弟子、思託[したく]律師が宝亀年間に開いたと伝わり、天正13年(1585)に筒井順慶[つついじゅんけい]の母が順慶の菩提を弔うため再興。以後、筒井家の菩提寺となった。寄棟造の本堂(重要文化財)は再興時の建立。鎌倉時代の地蔵菩薩像(重要文化財)は裸形像に実際の着物を着せた裸形着装[らぎょうちゃくそう]像として有名で、月曜、休みの時以外は開扉。花びらがひとひらずつ散る散り椿は東大寺開山堂の糊[のり]こぼし、白毫寺[びゃくごうじ]の五色椿と並び奈良三名椿の一つ。
日本最古の寺・飛鳥寺が、平城遷都に伴い奈良に移されたのが元興寺。南都七大寺の一つとして隆盛したが、都が京都に移ると徐々に衰退。室町時代には火災で伽藍の大半を焼失した。現在残る寺は僧坊の遺構(史跡)。極楽堂・禅室(ともに国宝)は、天平時代の僧房の平面を伝える貴重な遺構だ。屋根瓦の一部は古代の丸瓦・平瓦を使用(行基葺き)。飛鳥から運ばれた建築部材も含まれる。法輪館(収蔵庫)では天平時代の五重小塔(国宝)や聖徳太子立像、智光曼荼羅、阿弥陀如来坐像、弘法大師坐像(以上重要文化財)、中世庶民信仰資料(重要有形民俗文化財)を展示。この寺の歴史と信仰がうかがえる。
吉備真備[きびのまきび]の子、朝野魚養[あさぬなかい]が元正[げんしょう]天皇の旧殿を拝領して開いたと伝えられ、中世以降は地蔵信仰の場として知られた。鎌倉時代に礼堂として建てられた雅な本堂(国宝)の奥にある石仏龕[せきぶつがん](重要文化財)は、わが国の石造美術の中でも珍しいもの。本尊地蔵菩薩の左右に釈迦如来と弥勒菩薩、扉石などにも多くの仏像が彫刻されている。
興福寺にある、高さ約50mの塔。古塔としては京都・東寺の五重塔に次ぐ高さで、奈良のシンボルとして親しまれている。天平2年(730)、光明皇后によって創建されたが、たびたび焼失。現在の塔は6度目の再建だ。室町時代の建築ながら、東金堂と同様、天平様式を踏襲している。現在は約120年ぶりの修理工事が進められ、令和13年(2031)3月までの予定となっている。
興福寺境内の南側に位置する八角円堂。弘仁4年(813)、藤原冬嗣[ふじわらのふゆつぐ]が父内麻呂[うちまろ]のために建立した。現在の堂は江戸時代の再建。西国三十三カ所観音霊場第9番札所でもあるため、堂前には線香の煙りが絶えず、庶民的な雰囲気が漂う。本尊は高さ3.4mの不空羂索[ふくうけんさく]観音坐像(国宝)で、運慶の父康慶一門の作だ。堂内は、毎年10月17日(9~17時)に特別開扉される。
興福寺の門跡寺院だった大乗院の庭園跡。平成22年(2010)の整備完了後に一般公開された。庭園南側に立つ大乗院庭園文化館からも望める。
春日大社の表参道入口に立つ典型的な春日鳥居。創建は承和3年(836)と伝え、江戸時代に再建された。右手奥の「影向[ようごう]ノ松」は春日大明神が萬歳楽を舞った所といわれ、おん祭の芸能も奉納される。
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