
名和神社
後醍醐天皇を擁護して足利尊氏と戦い、京都で討死にした名和長年一族42人を祭る神社で、桜の名所として名高い。神社から10分余り歩くと、長年と2人の息子の墓所と伝えられる三人五輪塔があり、少し戻って南に向かえば長年が開いた長綱寺[ちょうこうじ]がある。裏山には名和一族郎党の墓が300基並んでいる。
- 「名和(鳥取)駅」から徒歩7分/「御来屋駅」から徒歩19分
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後醍醐天皇を擁護して足利尊氏と戦い、京都で討死にした名和長年一族42人を祭る神社で、桜の名所として名高い。神社から10分余り歩くと、長年と2人の息子の墓所と伝えられる三人五輪塔があり、少し戻って南に向かえば長年が開いた長綱寺[ちょうこうじ]がある。裏山には名和一族郎党の墓が300基並んでいる。
旅館「湯元湯の川」の敷地内にある神社。祭神の八上姫命は愛をはぐくむ女神。因幡国(現・鳥取県)の生まれで、大国主命を恋い慕って出雲の地を訪れ、命の御子を生んだ。途中、湯の川温泉で湯浴みをしたところ、たちまち元気になり、美しさもさらに増したとか。湯元湯の川ではハート形の絵馬、縁結び絵馬(2枚1組、800円)もある。
温泉津の港に出入りした北前船の守り神として信仰を集めた神社。本殿の背後にそびえる岩山の上に旧奥の院があり、突き出た岩屋は龍の頭に見える。
明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祀る神社。松陰の実家杉家に土蔵造りの小祠が建てられたのが始まりで、現在の社殿は昭和30年(1955)に完成した。学問の神として親しまれ、本殿の北隣には門下生を祀る松門神社が建つ。境内には松陰が主宰し、幕末維新に活躍した志士を数多く輩出した松下村塾や吉田松陰幽囚ノ旧宅(杉家旧宅)などの史跡が点在。また歴史館(500円)と至誠館(500円)では松陰の生涯や遺志を現代に伝えている。松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅は、平成27年(2015)7月に世界遺産に登録。
もとは大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利氏とともに萩に移った古寺。山口市には現在も円政寺町という地名が残る。境内には十二支の彫刻が施された金毘羅社があり、神仏混合の名残が見られる。伊藤博文や高杉晋作などが遊び、学んだ場所でもあり、幼い晋作が度胸をつけたという大天狗面や遊んだ木馬(神馬)などが残る。山口県下最大級の石灯籠、国内最大級の銅鏡も必見。石鳥居、金毘羅社社殿は萩市指定有形文化財である。
指月山善福寺は永享年間(1429~1440)に指月山麓に創建された臨済宗の寺院で、毛利輝元の萩城築城のため、この地に移された。大内義隆が当寺に与えた文書を所蔵しているが、萩の地名が記されており、これは萩の地名が書かれた最古の文書と言われている。また、境内には胴にマリア像が彫られたキリシタン燈籠がある。
高杉晋作の発起により創建された日本初の招魂場。境内には吉田松陰・高杉晋作をはじめ無名の志士も当時の身分制度に関わらず平等に祀られている。この考えが靖国神社のもとになったといわれている。
萩駅の西にある毛利家の菩提寺。萩藩初代藩主毛利秀就[もうりひでなり]と、2~12代の偶数代藩主を祀る。藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した603基の石灯籠が整然と並び、荘厳な雰囲気。書院には鎌倉末期に作られた檜の寄木造、玉眼に水晶入りの赤童子[あかどうじ]立像(重要文化財)が安置され、庭園から拝観できる。5月上旬には藤が開花し、彩りを添える。
源平の戦いでは源義経が戦勝祈願をし、明治維新では高杉晋作の奇兵隊の結成など、歴史上の大きな転換点を見守ってきた由緒ある神社。目印の長い階段を昇ると拝殿にたどり着く。義経をモチーフにした勝守[かちまもり]がある。
常念寺界隈から熊谷美術館あたりにある寺町。このように寺院が密集する寺町も城下の守りのひとつだ。寺院は戦闘の際、兵舎に代わるものとして考えられ、張りめぐらされた土塀や、堅固な建物は、単に寺の威信だけではなく、いざという場合のことも考慮して造られている。城下町の守りの堅さを偲ばせる。
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