
旧西田川郡役所
致道博物館内にある、明治14年(1881)に建造の擬洋風建築物。明治天皇の東北御巡幸の際には、鶴岡の行在所となった。棟梁は高橋兼吉。現在は考古学、明治時代の資料などを展示している。
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致道博物館内にある、明治14年(1881)に建造の擬洋風建築物。明治天皇の東北御巡幸の際には、鶴岡の行在所となった。棟梁は高橋兼吉。現在は考古学、明治時代の資料などを展示している。
鶴岡城下で庄内藩の御用商人として呉服屋を営み、幕末には鶴岡第一の豪商となった風間家の旧宅。丙申堂と名付けられた邸宅は、明治29年(1896)丙申の年に住居と営業の拠点として建築されたもの。広大な板の間に架けられたトラス状の梁や、現在では珍しくなった杉皮葺石置屋根などが見どころだ。明治期に賃金業に転じ、風間銀行から荘内銀行に致る歴史の跡も、金庫蔵に展示された明治期の金庫からうかがえる。主屋、小座敷、前蔵、風呂場などが国の重要文化財に、表門と西側坂塀が登録有形文化財に指定されている。所要20分。
致道博物館内にある庭園。作庭年代は不明。築山池泉を配した書院庭園で、鳥海山を借景としていた。大名屋敷の面影を残す、御隠殿の北側にある。入館料は20名以上で団体割引あり。
関所跡。白河関[しらかわのせき]、勿来関[なこそのせき]と並ぶ奥羽[おうう]三大古関の一つで、鼠ケ関[ねずがせき]港が一望できる。源義経・弁慶の「勧進帳」の舞台といわれる。
国指定史跡・松ヶ岡開墾場は、明治5年(1872)に旧庄内藩士約3000人が刀を鍬に替えて開墾し、広大な桑園と蚕室群を設けて養蚕業を始めた中心地。鶴岡・庄内は国内最北限の絹産地に発展した。開墾の本部とした本陣や、5棟の大きな蚕室、貯桑土蔵などが、明治の面影そのままに現存する。蚕室は、開墾の歴史を伝える松ヶ岡開墾記念館をはじめ、6・9月に蚕飼育が見られるおカイコさまの蔵、鶴岡の絹産業の歴史と魅力に触れる体験型施設のシルクミライ館として公開。食堂やショップもあり、季節のマルシェやワークショップなども開催。
鶴ケ岡城(現鶴岡公園)の三の丸、庄内藩酒井家の御用屋敷跡にある博物館。国の重要文化財指定の旧西田川郡役所、旧渋谷家住宅、旧鶴岡警察署庁舎など貴重な歴史的建造物が移築され、考古・歴史・民俗・美術資料を多数展示・公開している。所要1時間。
庄内と山形方面を結ぶ六十里越[ろくじゅうりごえ]街道沿いにある山深い集落・田麦俣に多層民家が見られる。豪雪に耐える、兜[かぶと]造、茅葺3階建。民俗資料館として公開される旧遠藤家が山形県文化財に指定・保存されている。
鶴岡公園内にある。明治の文豪・高山樗牛[たかやまちょぎゅう]や横光利一をはじめ各界で功績のあった郷土ゆかりの人物を紹介する郷土人物等資料展示施設。大正時代に建てられた赤いドームが特徴の洋風建築がすばらしい。
士風の刷新と優れた人材の育成を目的として、旧庄内藩主・酒井家9代忠徳[ただあり]が文化2年(1805)に創設した藩校。徂徠学を教育の中心とし、天性重視、個性伸長、自学自習を重んじた。明治6年(1873)の閉校後も、表御門・聖廟・廟門・講堂・御入間[おいりのま]などが残る。東北では唯一現存する藩校建造物で、国の指定史跡である。
江戸時代に宿場町として栄えた田麦俣地区に見られる茅葺き多層民家のひとつ。兜造りの茅葺き屋根と3層・4層構造の内部が特徴。現在の建物は3階部分を蚕室に利用していた明治10年代の姿を復元した。平成29年(2017)に日本遺産の構成文化財となっている。
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