
旧滝沢本陣
会津藩主が参勤交代などの折りに使った休憩所。戊辰戦争の本営ともなり、白虎隊奮戦の証となる弾痕や刀傷が数十ヵ所も残る御座之間や御次之間などが国の重要文化財に、藩主御入門や湯殿などは史跡に指定されている。参勤交代の道具や古文書なども展示されている。所要20分。
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会津藩主が参勤交代などの折りに使った休憩所。戊辰戦争の本営ともなり、白虎隊奮戦の証となる弾痕や刀傷が数十ヵ所も残る御座之間や御次之間などが国の重要文化財に、藩主御入門や湯殿などは史跡に指定されている。参勤交代の道具や古文書なども展示されている。所要20分。
人材の育成を目的に享和3年(1803)に建設された会津藩の学校。幕末には白虎隊の少年たちをはじめ、多くの優秀な人材を輩出した。壮大な江戸建築や当時の学習の様子を観覧できるだけでなく、坐禅や茶道・弓道などの各種武士道体験のほか、会津の縁起物「赤べこ」や「起き上がり小法師」の絵付体験も楽しめる。坐禅500円、茶道540円、弓道5本300円、絵付け赤べこ920円、起き上がり小法師770円(坐禅・茶道は10名以上からの予約制)。白虎刀の絵付け920円。
会津若松のシンボル・鶴ヶ城(若松城)の城跡を整備した歴史公園。堀や土塁、石垣などは約400年以上前のものが残り、内堀内の公園全体が国史跡「若松城跡」に指定されてる。本丸跡には昭和中期に再建された5層の赤瓦の天守閣(若松城天守閣郷土博物館)が聳え立ち、茶室麟閣や表門(鉄門)なども復元されて散策に格好。春には、「さくら名所100選」に選ばれた約1000本のソメイヨシノが開花し、鶴ヶ城さくら祭りも開催されて多くの花見客が訪れる。隣接する福島県立博物館もあわせて訪れるのがおすすめだ。
直江兼続は上杉謙信の家臣で、謙信の死後は上杉景勝に仕えた武将。国替えで越後から会津に移って来た景勝から、城の大手口の近くに与えられた屋敷がこの場所で、広さは1町(約109m)四方。江戸時代前期の儒学者・兵学者である山鹿素行が生まれた場所でもあり、大正15年(1926)に建てられた自然石の「山鹿素行誕生地」の碑石の書は、海軍軍人・東郷平八郎の筆によるもの。
江戸時代後期に建てられた土蔵造りの店舗で会津漆器を販売する老舗。会津若松市歴史的景観指定建造物にもなっている店舗の建物は、江戸末期の戊辰戦争時には官軍の屯所として使われた由緒ある建物。レンガ造りのうだつ(防火壁)を持つ重厚な土蔵商店建築で、なまこ漆喰と上部の黒漆喰の店構えは実に立派だ。戊辰戦争時の傷跡が柱に残る店内には、江戸後期によく使われていた図柄の會津繪や鉄錆繪が用いられた復元漆器をはじめ、箸や椀物、重箱など伝統的な会津塗の漆器、オリジナルデザインの漆器商品が多数揃い、見ているだけでも楽しくなる。
会津武家屋敷から東山温泉へ向かう玄関口にあり、会津藩主松平家9代のうち2~9代が葬られている。山の斜面に石段、石畳がつづき、全国的にも珍しい神式の墓石が立ち、国の史跡に指定されている。出掛ける際は歩きなれた靴が望ましい。
鶴ヶ城の西口から約500m、新島八重と兄の山本覚馬の生家である山本家があった付近に立つ碑。平成元年(1989)に同志社が建立した。戊辰戦争で鶴ヶ城に籠城して戦った八重が、会津藩が降伏し開城前夜に詠んだといわれる歌が刻まれている。
会津の歴史・文化の情報発信と伝承を使命とする総合文化施設。約7000坪の敷地に会津藩家老の屋敷、藩米精米所、陣屋、茶室、歴史資料館が建ち並ぶ歴史散策ゾーンを中心に、食事処や特産品店舗も揃っている。
江戸中期の築庭で、歴代藩主の保養所として利用されたもの。「御薬園」の名は、今では会津の特産になっている薬用人参をはじめ、薬草を栽培していたことから付けられた。園内には300種類の薬用植物が栽培される薬用植物園、茅葺き数寄屋造りの御茶屋御殿、心字の池などがある。
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