
旧荻野家住宅
旧荻野家は、江戸時代末期、荻野衛門が町田市三輪町(旧字・上三輪)に医院として建てた旧家で、現在、都の有形文化財に指定されている。茅葺き屋根の建物は一見、当時の一般的な農家と変わりがないように見えるが、一歩足を踏み入れた内部は、4つの部屋と土間からなり、調剤室として使用されていたと思われる部屋には薬棚が残るなど、医院としての面影を色濃く残している。改造された部分も少なく、また保存状態も良好なため、幕末当時の町家造りの趣ある雰囲気を今に伝えている。
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旧荻野家は、江戸時代末期、荻野衛門が町田市三輪町(旧字・上三輪)に医院として建てた旧家で、現在、都の有形文化財に指定されている。茅葺き屋根の建物は一見、当時の一般的な農家と変わりがないように見えるが、一歩足を踏み入れた内部は、4つの部屋と土間からなり、調剤室として使用されていたと思われる部屋には薬棚が残るなど、医院としての面影を色濃く残している。改造された部分も少なく、また保存状態も良好なため、幕末当時の町家造りの趣ある雰囲気を今に伝えている。
12世紀末、鎌倉幕府が誕生して鎌倉街道が整備されると、このあたりは北関東から鎌倉へ通じる街道の要衝となった。というのも、府中方面から井出の沢までは多摩丘陵の起伏が続き、ここから鎌倉まで兵を進めるには平押しに押し下れるからである。建武2年(1335)、足利尊氏の弟・直義は地の利を利用し、信州から南下した北条時行の軍とこの地で戦った。
明治時代に起こった自由民権運動は、実は町田を含む多摩地方が大きな拠点の一つとなっていたが、江戸末期の安政6年(1859)、現在の町田市野津田に生まれた村野常右衛門は若き頃からその洗礼を受けた著名な運動家で、後に政界に転じて衆議院議員となり、当時の首相・原敬の右腕とまで称されるようになった。この建物は江戸時代末の創建当時は茅葺きであったが、常右衛門が大正13年(1924)に当時としては珍しい鉄板葺きにするなど、改築を行っている。
鎌倉時代から室町時代に武士階級が使った屋敷跡。崖面を切り崩す一大土木工事で、幅約50m、奥行き15m程度の平坦面を造成した場所に、12m×6m、深さ約1mの大型竪穴状遺構と、堀立柱建物跡が発見された。現在はガラス繊維補強セメントの被膜で遺跡全体を造形保存され、発掘当時の臨場感を体感できる。
三輪地区南側、横浜市との県境に位置する7世紀代の家形構造の横穴墓群で、昭和2年(1927)に都指定旧跡となり、平成20年(2008)に史跡に。4基の横穴は凝灰岩質の岩盤に掘り込まれたもので、特に1号と3号には天井部、側面などに家形の用材が浮き彫りされており、全国的にも例は少なく、「内部に家形彫刻を有する横穴」として考古学史的にも貴重な史跡といえる。
旧永井家住宅は、町田市小野路町瓜生にあった民家を、永井氏から寄贈を受けた町田市が昭和50年(1975)に現在の地に移築復元した。このときの解体調査により、建物は17世紀後半(江戸時代初期)に建てられたことが判明するとともに、後世に大幅に手を加えられていることが明らかになったため、復元にあたっては横浜国立大学関口欣也助教授(当時)の指導のもと、建設時当初の姿に復元されている。内部は床一面に簾状のものが敷かれた「竹簾子床」(たけすのこゆか)などが特徴的で、むしろ敷の部屋をもつ当時の典型的な三間取型の民家となっている。
平成6年(1994)に発見された約9万枚の中国からの輸入銭貨で、室町時代に埋められたと推定される。四銖半両(前漢・紀元前175年ごろ)から永楽通宝(明・1408年ごろ)までの97種類からなり、同時に発見された収納容器は直径53cm、高さ56cmの檜製の桶で、全国的にも希少。現在は考古資料室で銭塊のレプリカと桶の一部を展示。
今井谷戸から山崎町を経て野津田に至る鎌倉街道の峠路の左側にあり、街道を往来した旅人たちののどを潤したといわれている。深さ約4mの表土部分は現在、風雨で崩れ原形を留めていないが、地表下約1.5mから下は直径70cmの円筒型の原形が保たれている。この井戸を含む七国山一帯は古道の面影を偲ぶことができる町田市では数少ないエリアといえる。
慶長9年(1604)に徳川幕府が江戸から四方に向かう五街道を整備したことで宿駅制度も整い、日本橋からの路程標識のために一里塚を1里間隔で道の両側に築き、榎を植え、1里を36町(約4km)と定めた。木曽の一里塚もその一つで、当時は道の両側に立っていたが、現在は西側の塚だけが残り、塚の上には武州御嶽山の大口真神の小祠が立っている。
丘陵地における住居跡発見の第1号として大正15年(1926)に国史跡に指定された遺跡。恩田川流域の丘陵地に牢場、稲荷山、八幡平の3つの遺跡があり、牢場遺跡では約3900年前の縄文後期の敷石住居跡、稲荷山遺跡では縄文後期から晩期の配石遺構、八幡平遺跡では約4500年前の中期末の敷石住居跡が発見された。
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