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武田信玄の命により高遠城が改築されたのは、天文16年(1547)のこと。武田流の戦略を考え合わせ、進歩した築城技術で築かれた名城であった。明治維新後、廃藩置県が行われると民間に払い下げられ、城は撤去。明治8年(1875)頃から桜が植え始められ、その後次第に拡張して現在の公園となった。5万4000平方mの敷地内に約1500本のタカトオコヒガンザクラが植えられ、4月上旬~中旬の満開の時期を迎えると「天下第一の桜」と称された桜を一目見ようと遠方からも多くの観光客が訪れる。
大奥の女中のなかで大年寄にまで上り詰めた絵島(1681~1741)は、6代将軍家宣の墓参の際に、芝居見物・宴席で門限を破ったことなどを理由に、江戸から高遠へ遠流[おんる]となった。それから61歳で生涯を終えるまでの27年間、囲み屋敷に幽閉されることになる。歴史博物館の敷地内に見取り図を元に当時の屋敷が再現され、一般に公開されている。8畳1間と湯殿などがあるだけで朝夕の2食(一汁一菜)のみ、読書や外部との交流も許されず、極めて質素な生活を送ったという。周囲を囲む塀の忍返が、その過酷さを物語っている。
高遠さくらホテル南側の小高い場所に建つお堂。境内には樹齢140年と推定される大きな枝垂れ桜があり、勝間の里に春の訪れを告げる。老桜が3本並び、枝が風に揺らめく様は幻想的だ。遠景もみごと。
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