
廬山寺
天慶元年(938)に元三[がんさん]大師によって船岡山に創建されたが、元亀2年(1571)に織田信長の焼き討ちを免れて現在地に移った。代々皇室の帰依が厚く、本堂は光格天皇の勅命により仙洞御所の一部を移築されたもの。紫式部の邸宅跡としても知られ、「源氏庭」には紫色のキキョウが咲く。節分の日に、3匹の鬼が剣や斧、槌をもって踊り、追儺使[ついなし]が紅白の豆を投げて鬼を追い払う、「鬼の法楽」[おにのほうらく]が有名。
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天慶元年(938)に元三[がんさん]大師によって船岡山に創建されたが、元亀2年(1571)に織田信長の焼き討ちを免れて現在地に移った。代々皇室の帰依が厚く、本堂は光格天皇の勅命により仙洞御所の一部を移築されたもの。紫式部の邸宅跡としても知られ、「源氏庭」には紫色のキキョウが咲く。節分の日に、3匹の鬼が剣や斧、槌をもって踊り、追儺使[ついなし]が紅白の豆を投げて鬼を追い払う、「鬼の法楽」[おにのほうらく]が有名。
八坂塔と呼ばれる五重塔(重要文化財)で知られる。飛鳥時代、聖徳太子の創建と伝え、この地の高句麗系渡来人、八坂氏に関係した寺とみられる。当初は四天王寺式の伽藍配置をとる大寺だったが、現在は民家に囲まれた境内に塔と薬師堂、太子堂が残るのみ。応仁の乱にも焼け残った五重塔は永享12年(1440)足利義教の再建によるもので、高さ46m。初層内部及び二層目までを拝観でき、大日、釈迦、阿しゅく、宝生、阿弥陀の五如来坐像が祭られる須弥壇や、中央に心柱を通した塔の構造を見ることもできる。
現在の辰巳大明神の地にあった旧家には、屋敷神として白蛇が祀られていた。旧家の移転に伴い、祠は地域に受け継がれ旧巽橋のたもとに祀られ、祇園の料理人が卵を供え信仰していたと言われている。戦後巽橋の改修に伴い現在の場所に鎮座され、無病息災、技芸上達、商売繁盛の氏神として地域の人々に信仰されている。
吉田山の麓にある古社。貞観元年(859)に藤原山蔭[ふじわらのやまかげ]が、平安京の鎮守社として創建したのが始まり。その後、文明年間(1469~87)に吉田兼倶[よしだかねとも]が吉田神道を提唱し、全神道の頂点に位置づけた。境内の斎場所大元宮[さいじょうしょたいげんぐう](重要文化財)は兼倶が創建したもので、全国の式内神3132座を合祀。ここにお参りすれば全国の神祇に参詣したのと同じ御利益があるとされている。2月の節分行事は盛大で、多くの参詣者で賑わう。紅葉の時期は、山頂から麓までのわずかな気温差による美しいグラデーションが見られ、社務所前や山頂の竹中社から大文字を望む景色が美しい。
天智天皇時代(668~671)に藤原鎌足が創建したと言われる藤寺に始まり、祭神の崇徳上皇が保元の乱で讃岐に配流され崩御されたのち、光明院観勝寺が安井金比羅宮の起こりと言われている。崇徳上皇が一切の欲を断って「おこもり」をしたことから、全ての欲を断ち切る祈願所とされ、現在は悪縁を切り良縁を結ぶ神様として多くの人が参拝に訪れ、信仰されている。境内にある縁切り・縁結び碑は絵馬を象ったもので、中央にある穴を表からくぐると悪縁が切れ、裏からくぐると良縁が結ばれるとされている。
庚申信仰発祥の地と言われる。現在の本堂は江戸時代に再建されたもので、難病や願いを封じ込めるこんにゃく封じの祈祷などが行われている。
真言宗智山派の総本山。紀州根来寺焼き討ち後、洛東にて再興を図り、徳川家康より、豊臣秀吉が3歳で没した愛児鶴松の菩堤を弔うため建立した祥雲寺を拝領した。その後、度重なる火災に見舞われるも、数々の障壁画や庭園が華麗な桃山文化を今に伝える。名高い長谷川等伯・久蔵一門の描いた楓図・桜図(国宝)は、収蔵庫で見られる。庭園(名勝)は利休好みの庭として知られる、中国廬山をかたどった池泉回遊式庭園。
坐禅体験は、短い時間設定や丁寧な説明、分かりやすい法話など、初心者でも参加しやすい工夫が満載。
慶長10年(1605)、伏見城の化粧御殿と庭園を移築したのが起こり。夫・秀吉の死後、出家して高台院となった北政所ねねが伏見城の化粧御殿を移築し、寺に改めた高台寺の塔頭。印象の違う2つの庭に加え、桃山時代の画家・長谷川等伯の襖絵など、多くの重要文化財も有している。境内には高台寺の宝物などを展示する掌美術館も併設。春と秋の夜間ライトアップは幻想的な雰囲気。「秀吉公ゆかりの神仏への献茶手前」という特別茶席も行っている(拝観料別2000円)。神仏への献茶法を元に、古田織部が考案し秀吉が絶賛した最上位の武家点前。武士の覚悟が表現されている。記念扇子付き。ライトアップ期間の拝観時間は10~22時(受付終了21時30分)。
全国に約3000社ある祇園社の総本社。「祇園さん」の名で親しまれている。社殿は本殿と拝殿の建物を1つの屋根でおおった祇園造と呼ばれる建築様式で、国宝に指定。夏の祭礼・祇園祭は、貞観11年(869)の疫病流行の際、その災厄除去を祈ったことに由来する。大晦日~元旦の「をけら詣り」も参拝者が多く、をけらの根を混ぜて焚いた浄火を吉兆の縄に移して持ち帰り、新年の神棚の灯明にしたり、雑煮の釜の火種にして、一年の無病息災を祈る。境内の太田社は芸事上達に御利益があるとされ、祇園の芸妓や舞妓もお参りに訪れる。
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