御詠歌にあるように、薪をとり谷の水を汲む難行を熊野修験者がこの地で行っていたのが寺の起源といわれる。寺伝では、弘仁年間(810~824)、弘法大師が奥地にある閼伽ケ谷で修行していた時、熊野権現が現れ、1寸8分(約5cm)の金の観音像を授けたとする。弘法大師は一刀三礼して霊木に等身大の千手観音を刻み、その頭髪の中へ仏舎利を入れ、金の観音像を胎内へ納めた後、堂宇を建て安置した。本尊は昭和2年(1927)の火災で本堂とともに焼失、現在の本尊は昭和45年(1970)造立のもので、本堂裏の蔵に祀られている。
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