
水天宮
市内中心部の高台にある水天宮。歴史は古く、大正8年(1919)に建設。急な石段を上ると境内からは、眼下に小樽港や堺町、東雲町などの昔ながらの情緒が残る家並みを見渡すことができる。旧寿原邸(電話:0134-22-0856)など、当時の面影を残した建物もあり、小樽の繁栄を偲ばせる。近くには石川啄木の歌碑も立つ。
- 「南小樽駅」から徒歩12分/「小樽駅」から徒歩17分
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市内中心部の高台にある水天宮。歴史は古く、大正8年(1919)に建設。急な石段を上ると境内からは、眼下に小樽港や堺町、東雲町などの昔ながらの情緒が残る家並みを見渡すことができる。旧寿原邸(電話:0134-22-0856)など、当時の面影を残した建物もあり、小樽の繁栄を偲ばせる。近くには石川啄木の歌碑も立つ。
小樽商科大学へ向かう約1.5kmの長い坂道。小樽商科大学がまだ小樽高等商業学校とよばれていた時代、学校まで続くこの坂の周辺は厳冬期になるとまともに風雪が吹きつけ、長い坂道を登らなければならなかった。学生たちがそれを嘆いてつけたのが由来といわれている。同校に通っていた作家・小林多喜二や詩人・伊藤整らもこの道を登りながら、ため息をついていたのだろうか。道の途中にはおしゃれな洋食屋など、ふらりと立ち寄ってみたくなるスポットも点在する。
国道5号から小樽商科大学へ向かう地獄坂を登った、JR小樽駅裏手の小高い丘の上にある展望台。小樽市街が一望でき、天気がよければ石狩湾や暑寒別岳[しょかんべつだけ]も遠くに望める。展望台のすぐ近くには、小樽ゆかりのプロレタリア作家・小林多喜二の文学碑が建つ。展望台への車道は冬期閉鎖。
明治13年(1880)、道内初の鉄道・幌内鉄道の開通(小樽・手宮~札幌間)をきっかけに、物資の集積地として発展した小樽。明治後半~昭和初期にかけて、色内地区には当時の流行を取り入れた銀行建築などが立ち並んだ。現在それらの建物の一部は資料館やレストランとして再利用されている。
市内中心部に位置し、日本庭園や標高約80mの見晴台を中心とした丘陵地にある。明治26年(1893)に開園した小樽で最も歴史のある公園。園内には桜やツツジ、栗などの樹木が植えられている。石川啄木の歌碑も建つ。
高い天井を幾本もの円柱が支えるギリシア・ローマ建築風の建物。小樽市の歴史的建造物に指定されており、ぱんじゅうの「桑田屋本店」など、小樽の名物店が入る。
国道5号から地獄坂に入り、旭展望台へ向かう途中にある昭和4年(1929)建築の小樽市指定歴史的建造物。ゴシック様式の壮麗な建物で、中世ヨーロッパの教会をイメージさせるようなとんがり屋根や壁にはめこまれたステンドグラスが印象的。隣接して小樽マリア院と小樽藤幼稚園(旧マリア幼稚園)がある。
小樽の歓楽街として賑わう花園銀座商店街とサンモール一番街の間を通る通称、小樽寿司屋通りは、文字どおり大小の寿司店が15軒ほど立ち並ぶ。古くから漁港として栄えてきた小樽は、種類の豊富な魚介類が安価で手に入るため、市内には100軒以上の寿司店があると言われ、それぞれ自慢の寿司を食べさせてくれる。地元産のウニやしゃこは食べる価値あり。
本物の蒸気機関車を展示するスケールの大きな博物館。ドーム型のスクリーンによるプラネタリウム、科学展示室など幅広い展示内容だ。なかでも鉄道関係の資料は充実。SLの運行(冬期運休)もある。旧手宮鉄道施設(機関車庫三号ほか)は国指定重要文化財になっている。
日本海を望む岬の先端に建つ。明治30年(1897)、北海道の日本海沿岸がまだニシン漁で栄えていた時代、積丹[しゃこたん]の網元・田中福松によって泊村に建築され、昭和33年(1958)に現在地へ移築された。当時は120名ものヤン衆(出稼ぎの漁夫)が寝泊まりしていたという。現存する鰊御殿の中では最大級の規模を誇る。所要30分。
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