水原秋桜子碑
ベルツ博士胸像の傍らに建つこの句碑は、俳人 水原秋桜子がベルツ博士の遺徳をたたえて詠んだものである。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
ベルツ博士胸像の傍らに建つこの句碑は、俳人 水原秋桜子がベルツ博士の遺徳をたたえて詠んだものである。
かつては西の河原の代表的な源泉で、茶釜が沸騰するような音を立てて湯を吹き出していたといわれている。
ドイツのローテンブルクからフュッセンまで続くロマンチック街道に由来して、「日本ロマンチック街道」と名付けられた上田から草津を経て日光まで続くルートの記念碑。
明治43年(1910)頃、東京・羽田の穴守稲荷から分霊勧請された神社。境内の砂は“招福の砂”といわれ、持ち帰ってそれぞれの場所に蒔けば御利益があると伝えられている。御朱印は白根神社社務所で受け付けている。
昭和8年(1933)、輝子夫人とともに草津を訪れた齋藤茂吉が、この西の河原について詠んだ歌が刻まれている。
江戸幕府八代将軍、徳川吉宗が江戸に数回湯を運ばせ入浴したため、その記念として建立したもの。
奈良時代の高僧として有名な行基が開いたと伝わる寺。行基が病人のために祈って杖を突いたところ、地面から温泉が湧き出し、そこに堂を立てたのが寺の始まりという。湯畑の前から境内まで石段が続いており、石段の途中には温泉観音や不動尊などが祭られている。境内には薬師如来を祭る本堂、町の文化財指定の釈迦堂、芭蕉や一茶の句碑などがある。
日本の近代医学発展に貢献するとともに、草津温泉をこよなく愛し世界に紹介したドイツ人医師・ベルツ博士と共同研究者・スクリバ博士の胸像。
徳川8代将軍吉宗は草津の温泉を汲み上げ、樽に詰めて江戸まで運ばせたが、その際の汲み上げ場所を示す木枠。
エルウィン=フォン=ベルツ博士は、明治9年(1876)に来日し、29年間、東京医学校教授や皇室の侍医を務めたドイツ人医師。明治11年(1878)に草津を訪れて以来、優れた効能や独特の入浴法に魅せられ、世界に向けて「世界第 1級の温泉保養地」と紹介した。道の駅運動茶屋公園の一角にある記念館の2階展示室には、そのベルツ博士の功績を讃え、「日本近代医学の父」と呼ばれる博士の生涯をパネルや写真を使って解説。妻の花婦人のドレスや着物も展示。1階には、草津町の姉妹都市に由来するドイツやオーストリアの製品を販売する売店も。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。